KOMA NOTE

”軽やかにシンプルに生きていく”考え方や実践をフリーランスの人材育成クリエイターがつづります。

ほんとはやっておいた方がいいことをやる。

ここ数日、ずっと気になっていたのです。。

 

•我が家のトイレの床に落ちているレゴ。

•おばあちゃんから送られてきた袋に入った大量のミカンの中にある腐った1個。

•1つ切れたままの廊下の電球。

•長男の使っている驚くほど短い鉛筆。

•親指のささくれ。

•新しいシリーズの「相棒」をみること。

•ずっと冷蔵庫の奥に鎮座しているキムチ。

•夏の間、一度も着なかった服たち。

•使わないクレジットカードの解約手続き。

•来年以降のビジネスの方向性を考えること。

•妻に日頃の感謝を伝えること。

 

など。

 

ほんとはやっておいた方がいいことってありますよね。わかっているわけだから。

 

でも、なんだかんだ後回しにしたり、

見なかったことにしたり、

誰かがやることを期待したり。

 

今朝、トイレの床に落ちていた赤いレゴを私はようやく拾い、洗っておもちゃ箱にそっと戻しました。

 

何か自分の心がフッと1gぐらい軽くなりました^_^

 

ほんとはやっておいた方がいいこと。

気がかりだったこと。

こうやって書き出すだけでもスッキリします。

 

私は週末、リストを見ながらひとつひとつ片付けていこうと思います。

こころのデトックスにつながりそうです。

 

なお、妻へ感謝を伝えることは、片付けでは決してありません。念のため!(^^;;

 

東日本の天候は気になるところです。

何卒、ご自愛を。

どうか良い週末になりますように。

 

 

 

 

「小さな言行一致」を繰り返していると人はどうなるか?

✔︎アレコレ学んでいるけど、あまり動けていない
✔︎難しいよね、とすぐ口にしてしまう
✔︎結局、自分に自信がない

 

今回は、こんな方へのヒントです。
どうぞご参考までに。

 

 

*** 

 

筆者は暮らしの中で、なるべく「宣言してから動く」ようにしています。
大そうなことではなくちょっとした小さなこと、ばかり。


例えば、トイレに行きたいなら、
「今からトイレ行きます」と宣言してから「行く」。

ちょっとコンビニ寄りたい場合、たとえ一人だとしても
「今から私はコンビニへ入ります」と宣言して「入店」する。

 

電車に乗る前にも、
「今から電車に乗ります」とボソボソ言ってから乗車する。(変な人認定されますからね)


ジムで筋トレする際にも、
「今から私の腹斜筋を鍛えます」と宣言してから、やる。

 

これらは一体なにか?
言行一致のトレーニンです。

言ったことと行動が一致するのが当たり前。
その習慣付けの訓練です。

これ、いいですよ。

 

続けているとこんな感覚になってきます。

 

✔︎言ったらやる、が当たり前になってきます。
✔︎言ったことを行動しないと、ちょっと気持ち悪くて動きたくなります。
✔︎「お前、言ったことをやる奴やな」と自分を信頼できるようになってくる。

 

 


そして、、、

そんな自分を好きになってくる^_^

 

 

言行一致という言葉の知識はあっても、何か具体的な行動で日常実践している方はなかなかお目にかかりません。

 


どちらかといえば、大きな目標や志を掲げて(言って)はみたものの、ギャップがありすぎて途方にくれる。

で、何も動けないまま日が暮れていくというイメージじゃないですか。


「言行一致」は庶民の私たちの身近なものではなく、どこか遠い一部の出来のちがうリーダーたちの持つ言葉のように感じていないでしょうか。

 

 

***

 

 

筆者は提案します。
私たちも言行一致スタイルをつくりませんか?と。

 

ポイントはたった1つ。
「言う」と「行う」の時間差を限りなく小さくする。この練習だけです。


バレーボールでいうクイック攻撃。宣言というトスを上げたら即アタック。

これで「言行一致1ポイント」をゲット^_^

 

「はい、できた!」
この数が増えれば増えるほど
自分を信頼できるようになってきますから。


そして、好きになる^^

 

「今、自分を好きか?」って問いかけはとても大事だと感じます。


あなたがいま何をしていようが、成功してようが失敗してようが、これから何かを新たに始めるにしても。

 

小さな言行一致の習慣は、やがてあなたの大きな夢や志、ハッピーの実現において強力な味方となるでしょう。

 

筆者もまだまだ修行中の身。40台半ばに差しかかりながらも日頃の修練に余念がありません笑。

 

…それはなぜか。

 

偉そうに書いてきましたが、冒頭で上げた3つの問題を筆者自身がずっと抱えていたからに他なりません。

 

10、11月はひとり強化月間として絶賛言行一致トレーニング中です^_^


よかったらあなたも一緒にやってみませんか?

 

 

 

 

 

 



 

「メンタルが」と嘆くより「シンプルなメモ」を書いてみよう。

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東日本を縦断していった台風19号によって被災された多くの地域、皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

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まだ全容が明らかになっていないようですが、一部の被災報道を見ながらしばし絶句するしかありませんでした。

自然の脅威はこれで終わることなく今後も続くでしょう。

自分や家族の命は、自分で判断し守っていくこと。
まさに「自責の時代」の到来を確信した週末でした。

 

皆さま、大丈夫でしたか?

 

***

 

近年、企業の中で「メンタル」という言葉が飛び交うようになりました。

 

「あいつは、メンタルが弱い」

「若手層のメンタル強化が課題」

「欠勤?ここ(メンタル?)やっぱり。増えてきたよね〜」

 

メンタル、メンタルって言っているので、
たしかにメンタルにも何らかの理想とはかけ離れた現実が起きているのでしょう。

 

筆者は精神科医ではありませんし、心理学者でもカウンセラー資格を持っているわけでもありませんので、その分野の方々から異論反論があることを前提で、今回も好き勝手にお話したいと思います。

 

俗に言われるメンタルトレーニングとかも受けたことがないので、
その内容や効果のほどはわかりません。
もちろん一定の効果はあるのでしょうけど。

 

 

でも、、、
多くのビジネスパーソンのパフォーマンス・パートナーをしている現場のリアルからすると、ほのかな違和感があって、


「ホントにそれは個のメンタルの問題にしていいのだろうか?」
と感じるのです。

 

・・というか、そもそも「メンタル」ってなんだ!?なのです。

心?精神?気持ち?
みんなわかってるのかなぁ。

少なくとも筆者にはフワッとした言葉です。


個人的に精神的な世界は嫌いではありません。
むしろ好きなジャンルです。


しかし、曖昧に漂う組織や個人の問題の原因がよくわからん場合、時に人の「メンタルの弱さ」に求めてしまう場合もあるように思うわけです。


しかしそのメンタルも”見えない言葉”なので、具体的な対処もできていない。

例えば「お前、メンタルが弱いよね」と言われてもどうしていいか分かりません。

今度の休日、滝にでも打たれたらよいのでしょうか?(笑)。

 

***

 

 

筆者の考えは一貫しています。

大事なことは、”どんな時も〜どんな時も〜アタマの整理♫”です。
(バックミュージックは、槇原敬之です。)

 

具体的にはメモ習慣をつけること、に尽きます。
紙とペンがあれば、だれでもいつでもどこでもできます。

 

メンタルうんぬん言っているよりも、シンプルなメモを書いてみてはどうですか、なのです。

 

仕事の場合、とりわけシンプルです。
以下の①〜③がクリアに”見えているか”、だけなのです。

 

 

①やるべきことを

②ちゃんと

③やる   以上。

 

 

①やるべきことを
⇨仕事の全体像とゴール、自分の役割、クリアすべき基準が見えているか?

 

②ちゃんと
⇨段取り、ステップが見えているか?

 

③やる
⇨最初の1アクションが見えている(動ける状態か)?

 

 

「見える」というのは、いつも言っていますが「書き出せているか」です。


多くの不調や空回り、元気がない組織、または個人の場合、①か②か③のどこかが「見えていない」。

まったり且つぼんやりしているのです。

 

経験上、大抵①です。

 

もしもここが関わる人たちの間でクッキリ見えているとするならば、、、、


何事も地図があれば、迷子にはなりません。

 

困って「メンタルが〜」という言葉を使う前に、日頃からメモで頭を整理すること(あるいはそのサポートをする)の方が100倍現実をポジティブに変えていけますよ。

 

 

以上、全くもって筆者の感覚ですけど^^

 

 

もちろん、どうしてもショックなことがあって気持ち的にダウンしてしまうのはどなたの人生においても起こりえます。

疲れやストレスがたまって何もする気が起きない時だってあるでしょう。

 

そんな時は、無理してメモ書きするのではなく、まずは温かいお風呂にゆっくりつかって、好きな映画や本にでも触れて、美味しいものを食べて、ぐっすり眠りましょう。

特に睡眠は大切です。ひたすら眠る。

大いに結構です^_^

 

そして、次の日朝スッキリ覚めたら、「メモ書き」をしてみましょう。
今の自分にいったい何ができるのか。

 

書くことで見える。

見えることでココロのエネルギーは生まれてきます。

紙とペンは、あなたの味方なのです。

 

メモ習慣は人生をも変えていきますよ。
これは本当です。

 

***

 

 

【ご案内】

筆者の月一メモ技ワークショップの体験会が10/23(水)にあります。
今回はメモを活かした「セルフコントロール術」です。


毎回開催が大阪の梅田なので、関西圏の方中心になるかと思いますが、
ご興味あれば一度お気軽に♫

 

UMEDAl講座 あなたの思考を磨くメモ技ワークショップ セルフコントロール編

 

 

ようやく出会えましたね。

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”たった一言”で物事の認識がガラッと変わる。


そんな時があります。

 

 

仏教の世界に、

「対面同席五百生」(たいめんどうせきごひゃくしょう)」という言葉があります。

ご存知でしたか。

 

言葉自体から出てくるパワーもスゴいけど、その意味を知るとまたスゴい。

 

 

「今、対面しているその人というのは、過去生で最低でも五百回一緒に過ごしている。あるいは五百回生まれ変わって、”ようやく”出会えた人である。」

 

 

たしかにたまに、初めて会った気がしない人っているけれど、ご、五百回って・・・。

お釈迦さま、パねぇ。

 

 

この言葉に10年ほど前に出会いました。

 


それまでのわたしは、


1、いい年して未だ人見知りで、

2、自己開示が苦手で、

3、でもに構えて人のあら探しをしてしまう。

 

書いてみてわかります。
うん、友達になりたくない(笑)。

 

人と出会うことへの期待や前向きさが極めて少ない人間でした。
営業の仕事をしながら、人付き合いに悩む日々でした。
目の前のチャンスや周囲の協力に気づけない鈍感な人間だったのでしょう。

 

しかし、この言葉と意味を知ったことで、
一つ一つの出会いには意味=ご縁があること、


出会いの背景にある時空を超えた物語をイメージすると、
人との出会いというものは、緊張ではなくどこか懐かしさから始まる感じがするようになったのです。

 

 

初めまして、ではなく、

 


「お久しぶり、または、

ようやく出会えましたね。」

(おや、今回はお互いこんな配役ですね^_^)

 

いつも再会。
そんな感じです。

 

 

この前提をもつだけで、笑顔で人と接することができるようになり、
結果的にコミュニケーションがしやすくなりました。
(人によってはコイツ馴れ馴れしいと感じるでしょうけど、笑)


自然体で視野を広げて人と対話できると、気づきが非常に増えてくるものです。

 

そんな過去生なんて見えないし、本当かどうかなんてわからないけど、すでにこの方とは何度も「出会って」いた(とするなら・・・)。


ならば、オープンな姿勢で今回の配役を楽しめばいい♫

 

なんか、気持ちがラクに変化してきません?

筆者の場合、この感じで相当ラクになりました。

 

 

実はスキルや能力不足ではないのかもしれませんよ。

 

「どんな前提」で人に関わっていきたいだろう?

 

よかったらこの問いへの答えを思い浮かべ、メモしてみましょう。

 

自分が納得できる前提を持てたらいいんだと思います。

 

あなたも私も、今日も明日も様々な人に出会うでしょう。
ぜひ心の中で試しにこのつぶやきからはじめてみてください。

 

 

「おおぉ!ようやく出会えましたね。^^」

 

 

私がいつもニタニタしているのは、そんな理由からです。

 

では、今日も笑顔で。

 

 

 

コミュニケーションの正体とはなんだろう。

 

 

新たに環境大臣に就任された小泉新次郎さん。
国際会議における「セクシー」発言。

 

メディア上では話題ですね。 

 

報道をみた際には、前後の文脈も分からなかったので、ユーモアの1つなのかなぐらいにしか思わなかったわけですが、メディアやSNSではなかなかしつこく話題にしているようです。


たまたま今日、お昼の某ワイドショーをちょっと見ていたのですが、彼のこれまでの発言を巡ってもはや2ch化しておりましたよ。なかなかのフルボッコ状態でした。

 

う〜ん、批判や茶化すことに興じるより、その出来事から私たちは何を学べるのか?

筆者はそんな静かな問いかけを持ちたいと思うこの頃です。


他者ではなく、自分に指を向ける構えを持つと、周りはみな師状態になります。

 

とまぁ偉そうに言っとりますが、時にグイグイ他人に指を向けることもあり、筆者はまだまだ修行中です。。

 

 

***

 

 

さてこの報道を見て、小泉さんから次のお題を頂いた気がするのです。

 

 

そもそもコミュニケーションの正体ってなんだろうか?

 

 

私たちは物事の定義が”明確でない”と実はうまく扱えません。
たとえば、わたしがコンサルタントとして、よく使うことを例に出すと、

 

『”風通し”の良い会社』をつくりたい。

⇨無理です^^
そもそも”風通し”ってどういうことなのか?ここを定義付けしていない限り。


『部署間の”壁”』をなくしたい。

⇨無理です^^
”壁”って具体的になに?ここを決めるとなくす手立てが見えてきます。

 

『”幸せ”な家庭』をつくりたい。

⇨・・もうわかりますよね^^;
”幸せ”とは何か。どうなれば幸せといえるのか。ここを定義付けすればつくれる(かも)

 

定義ってダイジなのです。


では、改めて「コミュニケーションの正体」ってなんでしょうか。
分かっているようで、実はナンダ?の1つかもしれません。

昨今も企業の人材育成の重要テーマは「コミュニケーション能力の強化」です。

 

しかし、肝心の「コミュニケーション」の定義がすっぽ抜けたまま、あるいは人によってバラバラなまま、手法論にすぐ入って迷走する例は枚挙にいとまがありません。

 

定義といってもwikiにあるような学術的な定義ではなく、筆者がおすすめしているのは「小学6年生でもそれを聞けば動けるような定義」を指します。

 

その定義を聞いた瞬間、

「な〜んだ、それならわたしでもできる!」そんな感じです。

 

もちろんコミュニケーションの定義は正解が1つなわけはなく、そこに関わる人たちとの共通了解ができればOKです。

 

コミュニケーションの定義(正体)。
ちょっと考えてみませんか?

 

ちなみに先日、あるワークショップで参加者と考えてみました。

みんなバラバラでした^_^

 

 

 ***

 

 

これはあくまで筆者の仮説です。

コミュニケーションの正体とは・・・、

 

 

「問い」に「答え」を出すこと。

 

 

この定義で見ると、政治家の国会答弁とかもはや面白いです。
ほぼ、問いに答えていない(笑)。
ちなみに質問も長ったらしくてよく分からないのですが(笑)。

ゆえにコミュニケーションが成り立っていない。


私たちの周辺でもこの人何を言っているのかなぁという謎、遭遇することあるじゃないですか。

 

先の定義に照らすと、シンプルに紐解くことができるようになります。

 

つまり「答え」以前に、「問い」自体がぼんやりしている。
あるいはそれぞれバラバラのケースって多くないでしょうか。
例えば会社の会議とか、どうです?

 

いったい今何に答えを出そうとしているのか、この時間。。。みたいな。

 

そもそもの問い自体がナンセンスな場合もあるでしょう。
できれば具体的でワクワクする問いの方が答えも多様に、かつシャープに出るでしょうね。


まずは問いを明確にする。
ここがコミュニケーションのスタートラインであることは間違いありません。

 

なぜ、小泉さんの発言がネタ化されているのか。
なぜ、上司の言葉が今ひとつ入ってこないのか。
なぜ、若い人とうまく関わることができないのか。
なぜ、あのお客様とはかみ合わないのか。

 


コミュニケーションの正体を筆者の仮説で見ていくと、その多くは、「問い」が互いに見えていない、またはズレていることに収斂されていきます。

 

つまり、最初でつまずいている。

 

じゃあどうすればいいのでしょうか。
カンタンです。

 

問いをしっかりメモしてみたらいいですよ。
書いてみるとボンヤリかハッキリか、1発で判明しますから。

 

まず、落ち着いて問いを共有する。

 

問いがハッキリ書けたら、関わる方々と視覚で共有しやすいでしょう。
的外れ発言もかなり減るのではないかなぁと。

 

ぜひお仕事でやってみてください。
これだけでも「お!仕事できる人!」と思われるかも。事実コミュニケーション上手になっていくことは言うまでもありませんので。

 

そう考えると、コミュニケーション能力とは、
1分で話すことも大切ですが、「問いを明確に書ける力」の方が本質のような気もします。

 

筆者の大好きなサンドウィッチマンの漫才でおなじみ、

「ちょっと何言ってるかわからない。」

 

もし日常でそう言われる方、もしも相手がそうだった場合、ぜひ優しい気持ちで問いと答えのシンプルな正体を思い出してもらえると幸いです。

 

以上、こんなことを考えるきっかけとなった小泉環境大臣のセクシー発言に筆者は感謝します。

 

ご参考まで。では!

 

 

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本文とは関係ありません。

この季節の夕暮れの空は何か物悲しく感じます。好きですね。

 

 

そのとうりになってきた。

 

辞めて生きる技術

辞めて生きる技術

 

 

2012年。会社員を辞めて、一個人として世の中に対峙していきたい、でも・・・という決断ができずに迷っていた筆者の背中をポンっと押してくれた一冊です。

 

 

あなたは「雇われて働く」のか、「辞めて生きる」のか

 

 

著者・藤井さんからのこのストレートな問いかけで、腹が定まったように記憶しています。

 

 

***

 

 

じつは先日のこと。

某大手金融機関から研修の依頼があり、なんと、筆者がやることに決まりました〜^_^

 

もちろん提案というか打合せ資料は一枚で行ってきましたよ。


数年前なら、大手企業はフリーランスで仕事をしているちっぽけな人間なんて、ハナから相手にしませんでした。

 

ま、当然というかどこの馬の骨かわからん奴に仕事を任せられないのも分かります。

 

それこそ名前こそ出しませんが、会社員時代にとってもよい関係(だと思っていた)だった企業の人事の方が、筆者がフリーになった途端、態度がまったく別人のようになった時には、帰りの御堂筋が涙でぼやけて真っ直ぐ歩けなかった経験があります。

 

世の中、そうだよな。そういうもんだよな。
会社のブランド力と個人の力量は別。
今までは勘違い成分80%はあったもんな。

 

頭でわかっていても、その時は悔しさでいっぱいでした。


しかし、そのお陰で今に見てよろ、と奮起したわけで。
あのめっちゃ冷たい態度に変貌した◯◯さん、今では心から感謝しています。

 

 

なので、必然的にお客様は大企業ではなく、小規模でやっている志ある企業を中心にお手伝いして数年間。(ま、その方がやりがいを感じるわけですが^^)

 

誰もがご存知の大企業からもお声がかかるようになりました。

 

いや〜コツコツやっていくものですね。

 

 

***

 

 

色んな意味で時代は変わってきたようです。
変化を肌で感じています。


大企業でも相手の属性等関係なく、課題解決パートナーを選んでくるようになってきたようです。言ってはなんですが、なんてったって信用を重んじるガッチガチの金融ですよ。

 

 

法人、個人関係なく「プロ」として見てくださる方や企業が増えてきた潮流でしょう。

 

「なぜ、私を選んだのですか?」(キリッ)


真っ直ぐ相手を見つめ、聞いてみましたよ。

 

 

 

 

 

「いや〜なんかね、やってるの見てて楽しそうだったから^^。」

 

 

 

 

 

かるっ、そこか〜い!

 

 

・・・でもその理由、一番嬉しいコトバでした。

 

 

そう、そもそも学ぶとか、何かができるようになるとか、それはめっちゃ「楽しい」ことなのです。

仕事も同じ。そもそも働くことは楽しいこと。

 

「どうすればもっと楽しめるだろう?」

 

これが筆者が、最も共有したい問いかけなのです。

 

 

見抜いていたのでしょうか。

だとすれば、この担当者、相当の眼力…

 

 

よし、こうなりゃ”楽しさの10倍返しだ!”(古いですね)

書いていて恥ずかしいのですが、、、

 


この秋、久しぶりの東京出張もできてワクワクです。

(久しぶりに会いたい方々もいます)

 

 

筆者らしさ全開で、皆さんと学びを楽しみたいと思いまーす^_^

 

 

***

 

 

最後に。

私の背中を押してくれた冒頭に挙げた本が出版されたのは2012年です。

 

本のあとがきは著者・藤井孝一さんのこんな言葉で締めくくられています。

 

 

「私は、10年後をまったく悲観していません。むしろワクワクしています。
多くのビジネスパーソンが、住む場所や働く時間、しがらみや細かいルールの束縛から解放され、自分の能力を発揮して世の中のお役に立ちながら、生き生きと働く世界になっていると確信しています。」

 

 

10年経っていないけど、そのとうりになってきた^_^

自らが体現していきたい世界観です。

あなたに問いかけたい。

「ほんとうに、大切なものはなんですか?」

 

フリーエージェントという働き方に興味がある方はもちろん、成熟社会の日本に適した働き方、生き方を模索している方には一度手にとって読んで損はないかと思います。 

 

では!

 

 

 

 

 

 

誰も傷ついていないささやかな誤解。

今朝ね、起きがけにふとある違和感に気がついたのです。

 

「あれっ…オレって何歳だっけ」と。

 

なにを今更ですが。。

 

ちなみに令和になってから、ずっと仕事で年齢を「46歳」と称してきました。

そういえば、昨日も新たに出会えた顧客にもそう自己紹介してしまった。

いや、素でそう思っていたのですよ、この数ヶ月間。

 

 

しかし、、、ちょっとまてよ。

 

 

 

 

実は、45歳の間違いでした、ええ。

 

 

 

中年おじさん、1歳のサバよみ。

この場合、サバ上げ?

呼び方はこの際どうでもよいが。

 

 

僕はまだフレッシュな45歳だったのだ、と気づいた一日のスタート。

朝日がいつも以上にまぶしかったのは言うまでもありません。

 

しかし、時を急いで俺はどこに向かって走っているのだろう、ふと自分が笑えてくる。

ゆっくり人生の景色を楽しみながら歩いていこうよ、あなたの強みはマイペースなところだよね〜

 

さて、この胸いっぱいの気づきと嬉しさを、速報で家内に伝えましたが、

 

 

 

見事に、

無反応でしたよ!^^

 

 

子供たちには、やや驚かれました。

パパ、ダイジョウブデスカ?(アタマたぶん)と。

誤魔化す子はパパきらいだぞ!なんてもう当分言えない…

 

 

誰も傷つけないささやかな誤解。

ま、どうでもいい話ですね。

 

 

みなさま、どうか良い三連休を^_^