KOMA NOTE

”軽やかにシンプルに生きていく”考え方や実践をフリーランスの人材育成クリエイターがつづります。

「仕事」の本当の意味から考えてみる。

先日ぼくの住む大阪市内にて、やや大きめの地震がありましたが、僕も家族みな、ふだんどうり淡々と暮らしております。

さて、ある企業にて新商品開発の会議にオブザーブ参加しました。
本社の商品開発部と各地販売スタッフとのブレストという仕立て。
この会社では初めての場。

参加者が女性中心ということもあり、ポンポン意見が飛び出し、そのスピード感や直感と共感の狭間で非常に面白く、有意義な時間でした。(たぶん男だとこうはならない)

その商品が市場に出るのは来年とのこと。楽しみです。

さて、その会議にてぼっ〜と考えメモしていたことを書いておきます。

 

***

そもそも「仕事」とは、何だろうか?


仕事という字を眺めると、事(こと)に仕(つか)えると書く。
この漢字に「お金を得る」という意味はない。

同じように「働く」とは何か?
よく言われるように、傍(はた)を楽(らく)にするというのが語源。
ここにも「お金を稼ぐ」という意味は含まれていない。

ならば、英語の「Business」は?
これは「busy-ness」「忙しい」という意味の名詞形。「お金を儲ける」という意味はまったく含まれていない。

 

「仕事」「働く」「Business」。
この3つの表現から、「まわりに喜ばれるような動きを続けると、自ずと食べていくことができるぜ」という本質を知ることができる。

しかし僕たちは、ついつい「どう儲けるか?」「今月もっと売上を伸ばすには?」と性急に考えがち。あなたのチームではどうですか?


でも、そのレベルだと答えはいつまでも出ないことが分かるよね。
結果、とんちんかんなことをやりかねない。今日もどこかでやっている。


問いの立て方が違う。あなたには明日の会議で静かにこうささやいてほしい。


「どうしたら、もっと喜ばれるだろうか?」

この本質の問いで考え始めると、いい答えは見つかる。
そして目からウロコ的なアイデアは、顧客接点を担っているメンバーが一番よ〜く知っている。

 

「大事なことから考える」を僕たちは忘れている。

例えば、こんな場面。


「あのぅ、今日のこの報告会、どんな目的をもって来られましたか?」
ある経営幹部全員が集まる場で、ぼくは一人一人の目を見ながら素朴に質問していく。

 

「えっ、情報共有でしょ?」

「私は駒込さんの見解を聞いて、人材育成のあり方をむにゃむにゃ・・」

「正直目的って、う〜んないなワッハッハ。」

 

おいおい。人によっては、目的というだけで嫌な顔をされることも(これはよくある)

「では、目的をすり合わせてから報告を始めたいのですが・・・」とぼく。

 

以上は、ファシリテーションのひとつの実態(イメージ)です。
ちなみに、あなたの会社の会議は大丈夫?

 

振り返れば、僕たちは「目的」について、学校で学んできていない。
だから、大人になり目的って大事だと頭ではわかっているけど、どこかめんどくさい。社会に出てからも、なくたって特に困らなかったから。
スローガンのような抽象的な言葉でお茶を濁す
わかったつもり、ふりでいる。いいじゃん、それで。


ダメです。
ズバリ、いま多くの組織の「本当の問題」はここにある。
みんなが目的から逃げてしまうのだ。だから実は本当の的が誰もよくわからない。

 

だから、決められない。捨てられない。仕事がますます複雑になるばかり。

 

そんな状態で、更なるなにか良い方法ってないですか?
前回の研修を超えるインパクトのあるものを、なんて求められる。

 

より良い「方法」を求める前に、どんな「目的・前提」なのか?
この1点を明確にしようよ。
限られたリソースで生きる小企業しかり、ぼくのような自営業の道はそこにあり。

今の世の中、平凡な僕らは強烈に取捨選択をやっていかないと何も得られない。

 

 

「大事なことは、何か?」

仕事において、僕は相手とこの問いをしつこく一緒に考え決める。
大事なことを明らかにせずして、最適な方法など考えられるはずもない。
どんな前提や目的でも、機能する「絶対に正しい方法」などないのだ。

 

逆に大事=重みづけが変われば、方法の評価も変わる、わけだよね。

なにやら当たり前のように聞こえるかもしれないが、
ぼくらはこの「大事なことから考える」を、無意識に避けていないだろうか。

 

仕事だけではなく、子育てにおいても、旅行でも、買い物でも同じ。


「大事なことはなんだろう?」


迷った時には、この問いを本心で考えてみよう。
そして、その”大事なこと”をちゃんと関わる人と共有しよう。

シンプルに道が見えてくるよ。

 

 

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

 

正直ハイレベルな内容だけど、今の時代に大切なことが書かれています。ぼくは間を置いて何度か読み返しています。
「イシュー」=「大事なこと」と置き換えた時にようやくしっくりきました。

 

やはり問題とは、最高のギフト。

5月まるまるこの地味ブログを放置しておりました。
それでも日々アクセスしてくれている方々がいることを知り、感謝の気持ちで・・・

 

すいません、それでも放置しておりました。

 

実は珍しいことに、体調をずっと崩していました。
なぜか5月は毎年、体調を崩します。不思議です。そして今年は例年よりも長引きました。(まるまる1ヶ月)


仕事でお会いした人の中には、僕のやばいレベルの咳の様子に、ちょっと引いた方も居たと思います。誠に申し訳なかったです。


辛うじて最低限の仕事をしながら、人生で最も耳鼻科に通い、薬を飲み、はちみつを舐めたり、パイナップルを食べたり、いろんなツボを押したり、なんでだろうと己を振り返る、そんな自分との対話の毎日を過ごしていました。

 

なんかね、笑えるくらい、いっぱい反省点が浮かび上がってきましたよ。

 

必要だったのでしょうね〜この体調悪化は。

そう思えます。

今回体調が悪くならなければ、調子に乗って振り返りもせず、気づけなかったことがたくさんあったのだと思うのです。

 

心身一如という言葉がありますが、自分の身体はいつも大切なメッセージを教えてくれるようです。

 

問題とは、最高のギフト。

って誰かが言っていたことを思い出します。

 

 


さて、6月に入った途端、スッコーンと体調が良くなり、深呼吸ができる身体に復活、ようやくビールの美味しさも蘇ってきました。

あ〜やはり健康が最高だ!!

 

調子に乗らず、身体と柔らかく対話しながら今年の後半を楽しみたいと思います。

 

 

 

またお会いしましょう。

独立してからのご縁で、定期的に仕事をご一緒していたOさんが定年退職されるとの連絡をいただいた。


いつもパワフルで、明るくて、笑いがある。
会うだけでエネルギーをもらえるような人。

そういえば、年齢を聞いたことなかったなぁ。
Oさんのこれまでのキャリアも、今の肩書きとかもよく知らない。
今さらながら、実は謎が多い。
(僕と同じで神社好きということは知っている)

でも、改めて思うのは、
そんなことどうでもいいんだよなぁ。

どうでもいいことが増えていくのが、
歳を取っていくことなのかもしれない。

 

それはさておき、

あなたの肯定が、どれほどの勇気になったか。
あなたが信頼してくれたことが、何よりの報酬でした。
ありがとうございました。

 

次のステージもOさんらしく生きてくださいね。


ぼくは昔から転職や、異動や、退職される方に、
いつもプレゼントする1つの詩があります。
ネイティブアメリカン長老の詩です。

 

『私が知りたいのは、皆が見捨ててたった一人になったとき、
あなたの内側からあなたを支えるものは何かということです。』

僕は、この一文が大好きです。

 

僭越ながら、Oさんにも贈りました。
あなたにも紹介します。

 

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『招待』
~ オライア・マウンテン・ドリーマー
   (ネイティブアメリカンの長老)の詩 ~



あなたが生活のために何をしているかは、どうでもいいことです。
私は、あなたが何に憧れ、どんな夢に挑戦するのかを知りたいと思います。


あなたが何歳かということも関係のないことです。

あなたが、愛や夢や冒険のために
どれだけ自分を賭けることができるのか知りたいのです。


あなたがどの星座に生まれたかということもどうでもいいことです。

あなたが本当に深い悲しみを知っているか、
人生の裏切りにさらされたことがあるか、
それによって傷つくのが怖いばかりに
心を閉ざしてしまっていないかを知りたいのです。


あなたが自分のものであれ、人のものであれ、
痛みを無視したり、簡単に片づけたりせずに、
それを自分のものとして受け止めているかどうかを知りたいのです。

また、喜びの時には、
それが私のものであれ、あなたのものであれ、心から夢中になって踊り、
恍惚感に身をゆだねることができるかを知りたいのです。
気をつけろとか、現実的になれとか、たいしたことはないさなどと言わずに。


私は、あなたの話すことが本当かどうかには関心がありません。

私はあなたが自分自身に正直であるためには、
他人を失望させることでさえ あえてできるかどうかを知りたいのです。
たとえ裏切りだと責められても、自分自身の魂を裏切るよりは
その非難に耐えうる方を選ぶことができるかどうかを。

たとえ不実だと言われても、そんなときにあなたがどうするかによって、
あなたという人が信頼に値するかどうかを知りたいのです。

私は、あなたが本当の美がわかるかを知りたいのです。

それが見た目に美しく見えない時でも、
毎日そこから本当に美しいものを人生に汲み上げることができるかどうかを。

私は、あなたがたとえ失敗しても、
それを受け止めて共に生きることができるかどうか、
それでも湖の縁に立ち、銀色の輝く満月に向かって
エスと叫ぶことができるかどうかを知りたいのです。


あなたがどこに住んでいるか、
どれだけお金があるかはどうでもいいことです。

それよりも、あなたが悲しみと絶望に打ちひしがれ、
どんなに疲れ果てていても、また朝が来れば起き上がり、
子どもたちを食べさせるためにしなければならないことを
するかどうかを知りたいのです。


あなたが誰を知っているか、
あなたがどうしてここへ来たかは関係ありません。

私とともに決して怯まずに 
炎の只中に立つことができるかどうかが知りたいのです。


あなたがどこで、何を、誰と勉強したかはどうでもいいことです。

私が知りたいのは、皆が見捨ててたった一人になったとき、
あなたの内側からあなたを支えるものは何かということです。

私はあなたが自分自身としっかり向き合い、
その何もない時間の中にいる自分を
心から愛しているのかどうかを知りたいと思っているのです。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

また、いつかお会いしましょうね。

 

 

美しいウソ、という基本。

実は最近、この地味ブログを読んでくれている人が増えている。
何の告知もしていないのにな・・・。
考えられるのは、最近お会いしたぼくの新人研修を受けた方々だろうか、、と。

 

今回は知人からの依頼で受けた講師の仕事だったので、研修ではあまり脱線は許されず(かなりしたけど)、テキストも規定のものに沿う形でした。

ビジネスマナーは、ビジネスフィールドに入るための基本ルールであり、自分を生かす生命線だ。
「は?ホウレンソウ、俺知ってっから」と鼻ほじっていた君、思ってもできないものよ。
たいていの知識はあっても現場では使えないだろうから、職場で、顧客先でいっぱい恥かいて色んな人達に叱られて体得していってください。

でないと、マジでガチでやばい奴(笑)になっていくぜ。


さて、本当は最後に言いたかったことがある。

 

僕があの日皆に話したことは、社会というリングに上がるためには必須のルールであり基本。リング上ではすでにその道のプロ達がたくさんしのぎを削っているの。
その中にルールも知らないでひょっこり上がってもすぐに弾かれる。
プロレスで言えば、乱闘中に若手が飛び込んでもかんたんに場外に放り投げられる、お約束のあれ。なんならラリアット食らって失神する。


だから、事前に「研修」という形で最低限の予防をしておくわけ。
あのテキストに書いてあることは、暗記しよう。そういうの得意だろ?

 


その上で。


正直に言おう。
あの研修、実は「美しいウソ」なんだ。

現実の社会では、笑っちゃうほど役に立たない。


もちろん、ゼロではない。
例えるなら、冬に真っ裸で外に出るよりも、Tシャツ1枚着て出られるくらいの違い。

現実の社会では、ろくにお辞儀できない奴、たくさんいるよ。
現実の社会では、ろくな言葉遣いができない奴、たくさんいるのよ。
現実の社会では、約束を破る奴、結構いるし。
現実の社会では、人のせいにしてくる連中は、たくさんいる。
現実の社会では、大切なことをあなたに教えてくれる人は、少ない。

 

君は社会に出た時に、愕然とする場面があるだろう。
世の中、意外とテキトーだったりする。


「なんだよ!研修でやったこと、誰もやってねぇじゃねぇか!」
「あの講師、きれいごとばかり言いやがって!」
「先輩だって学生コトバ使ってんじゃん!」って。

 

腹が立つかもね。
そう、あの研修でぼくが言ってたことは『美しいウソ』だから。
でもね、ムカってきた次の瞬間、次の言葉を思い出してほしい。

 


「だからあなたはどう考え、振る舞うのか?」と。


この問いへの答えは、あなたが時間をかけてでも決めてください。
それが社会人という奴なのです。

周囲に流されて、真似していくもよし、
こんな大人になりたくない、とそこで言葉使いやマナーをひとりで学んでいくもよし。

 

いずれにせよ、何を自分の基本とするかは君次第だ。
君自身が基本を決めていくのです。

今は真っ裸の君に、ぼくは「美しいウソ」と書かれた1枚のTシャツをプレゼントしただけ。まずは、このTシャツを着て、リングに上がってみてください。
少なくとも裸の恥ずかしさは低減できるから。

そして、たくさんラリアットを食らって強くなっていって下さい。
いずれ君自身の強靭な基本が身についてくるでしょう。
そうやってぼくも大人になっていったから。

さ、その瞬間はすぐ訪れるよ。
そのとき君はどう考え、どう振る舞う?

 

われ以外、みな師。

週末は、顧客先にて月1の勉強会。

各自のプロジェクト進捗を共有し、濃いフィードバックをし合う。
参加メンバーが率直な意見を発信できるようになってきた。
ささやかな成長を感じる。みんな素晴らしいなぁと改めて。

ここでの体験は、日頃のミーティングや会議でも通じる基礎体力になる。
正解らしきことを一発で当てに行くんじゃなくて、その状況その状況における最適解に向けて、互いが ”にじり寄っていくものだ”という姿勢。


議論は戦わせるものではなく、深めていくものだよね、やはり。
一緒に考え続けましょう。

 

世は入社式があり、新しいスタートの季節。
ぼくも今日は、今週始まる新入社員研修の準備をしています。
あなたも少なからず、仕事を教えたり社会人とはなんぞや等、指導することがあるでしょう。

 

ぜひ、用意した正解を手渡すだけでなく、その場で新人と一緒に改めて考えてみてはいかがでしょうか。

たとえば、

・そもそも仕事や働くとは何か?

・なぜ私たちは働くのか、根本目的とは?

・学生と社会人の違いとは?

・仕事の報酬とは?

・共に持ちたい大切な価値観とは?

などなど、、。
一緒に考えるとは、問いに向き合うこと。

 

4月はあなたにとって「教える」季節かもしれません。
しかし同時に、教える側が一番自らの未熟さに気づき、学べるのです。
つまり、実は一年でもっとも「学び」の季節にもなる。

「われ以外、みな師」
小説「宮本武蔵」で有名な吉川英治の清々しい言葉。

何歳になろうが、人生はつねに勉強していくもの、だよね。
「教える」ことを生業にしているぼくは、いつも未熟さの連続です。
しかし、未熟はこれからまだまだ伸びる、そう言い聞かしている修行僧なのです。

 

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夕方からお花見を近くの公園で。ほとんど子供たちの相手ばかり。子供こそ師なのだけど、ゆっくり大人同士、飲みたい…。

 

 

 

 

これが最後かもしれない。

郷里の母が孫の顔を見に来たついでに、京都、大阪、神戸と連れて歩いた。

 

京都の三年坂ではちょうど桜が咲き始め、多くの観光客は写真を撮っていた。

 

母ともきれいだね、なんて話しながら…

 

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そこでふと思う。

僕の感じる「きれい」。

母の感じる「きれい」。

 

その価値や意味は全く違うのだろう。

ぼくにとっては毎年の恒例、今年もやって来たな程度。

しかし母にすれば齢75、あと何回桜を目にできるのだろうか、とカウントダウンしているのかもしれない。

ましてや京都の桜なんて、一生のうち見られるのはこれが最後だろう。

 

「これが最後かもしれない」という認識で見る美しさ、来年も再来年もやって来るという認識での美しさは、同じ桜を見ていても全く違う。

 

人生は有限なのだ。

ぼくらは明日も明後日も用意されているとどこか無意識に思っている。

でもそれは勝手な幻想。

 

一期一会。

人との出会いも同様だ。

これが最後かもしれない、と思えば精一杯、優しい言葉を選んで手渡そうと思う。

大切な人を素直に抱きしめられる。

 

それができないのは、どうせ明日も来るし、またあなたと会えると思うから。

 

人の認識力というのは、時間の有限性を日々意識することで磨かれる、のかもしれない。

 

ぼくはこの旅行中、生まれて初めて、母の手をマッサージした。

これまでの感謝の言葉を手渡しながら。

 

母よ、また旅行しようね。

 

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明石海峡に沈む夕陽も最高でした。