KOMA NOTE

”軽やかにシンプルに生きていく”考え方や実践をフリーランスの人材育成クリエイターがつづります。

日野原先生。

日野原先生がなくなられた。105歳であられた。生涯現役の方。習慣病という言葉の提唱者でもある。たくさんの功績、著作を残した。直接の面識はないが、僕にとって師のひとりである。それは10年以上前に手にとった1冊の本がきっかけ。東京から転勤で大阪にやってきて、仕事も空回り、不器用で知人友人もいない停滞期だった。

生きかた上手

生きかた上手

 

 この先の不安ばかりだった僕に、この柔和なおじいさんは優しく語りかけてくれた。

「自分のためではなく、人のために生きようとするとき、あなたはもう孤独ではないのだよ。」(たしかそんな言葉だったと思う)

夏も終わりかけの頃だった。僕は心斎橋にあるドトールで、ひとり読みながら涙がこみ上げてきた。赤ペンをもつ手が震えるほど勇気をいただいた。難しいことではなく、平易で優しい言葉こそ胸に響く。こんな優しい言葉を紡げる人間になりたいと思った。その後、他の著作もフォローし、幾度となく僕は先生のシンプルで温かい文章を通じて励まされたことを思い出す。

 

本当に支えられました。ありがとうございました。心からご冥福をお祈りいたします。

もしよかったらあなたも今度立ち読みしてみてください。きっと温かな勇気が湧いてくるはずです。

すでにあなたは素晴らしい。

先月、第1期生のプロジェクトが終了した。某業界NO1企業でのプロジェクト。テーマは「女性活躍推進」。最終的には参加者からも経営陣からも大好評で終えることができた。最終日、プロジェクト打ち上げの懇親会を僕は早々に切り上げ、飛び乗った新幹線の中でやりきった充実感とホッとした安心感でシートに沈み込んでいた。危うく新大阪を通り過ぎるところだった。

 

このプロジェクトで感じたことが3つある。

①「女性活躍推進」という言葉

女性からまったく共感をされないこのワードは次回から止めよう。未だに「女性活用」が・・と堂々と言ってのける地位高めのおじさんもいる。センスが残念。言葉が世界を変える。早々に新たな言葉を生み出したい。

 

②「男性活躍推進」のススメ

今回、全国の店舗から第1期生という形で選抜された女性社員が対象だった。しかし同時にその上司(すべて男性)にもプロジェクトに参加して頂いた。正直に言おう。いやご本人たちには申し上げたが、上司のあなたがもっと成長しよう。でなければ部下は活躍も成長もしない。そして、上司が仕事を楽しめないと、部下は仕事を楽しめないのだ。

 

③すでにあなたは素晴らしい

今回プロジェクトに参加された42名の女性の皆様は、個々にいろんな事情を抱え、いろんな希望を持ち、毎日を懸命に生きている人たちだった。一人一人のお話しを聞けば聞くほど感じた。「あなたは、すでに活躍している人たちなのだ」と。そして、素晴らしいアイデアを持っていたり、日々たくさんのことに気づいている。それらは顧客の喜びや売り上げにも関わってくることだ。今までは誰も聞いてくれず、不満になって終わっていたようだ。その不満を出番に変えられないだろうか、僕はそんな思いで今回のプロジェクトを組み立てていった。あなたの景色は変わっただろうか。

 

すでに活躍をしていた、すでに素晴らしかったあなた。そのあなたは、これから何を大切に仕事をしていきますか?なにをやめて、なにをはじめてみたいですか?どのような生き方をしていきたいでしょうか?

会社に期待をすると、どうしても僕たちは不満になりやすい。不満はいずれ不安になる。そうではなくて、出番として捉え直してみたい。多少なりともワクワクするはず。不満にするか、出番にするか。その解釈はいつだって自分が決められる。

 

あなたに必要なのは、ほんの少しの勇気だけ。あなたのアイデアや行動が周囲を助けます。大丈夫、あなたはすでに素晴らしいのだから。

それでええねん。

迷ったり、悩んだりした時、いつも僕の頭の中にはこの名曲が鳴り出すのです。

子育ても、しごともまた然り。

 


ウルフルズ - ええねん ROCK IN JAPAN FES.2007 2/2


ええねん



たぶん今を生きる僕らの「正解」というものは、子どもたちが大人になった時には、、、

 

おそらく大抵はズレちゃっているのだと思う。だから、たった一つの正解を必死になって探す必要はないし、その価値観にしがみつかなくてもいい。

正しいか、よりも楽しいか。共に笑い合うことを大切にしたらどうだろう。

そのスイッチが、「それでええねん」。

 

そういえば、かのバカボンも言ってましたね。

 

「それでいいのだ!」と。

 

お金の正体。

僕には独立してから続けている1つの習慣がある。それは、毎月月末の夕食時、子供たちのいる前で、お金の入った封筒を妻に手渡すというささやかな儀式。そして夕食を頂きながら、すこ〜しだけお金のはなしを子供たちとする。

・お金ってどんなもの?

・どうやってお金をもらうのか?

・お金はどうやって使うのか?

・いったい我が家にお金はいくらあるのか?(今は言わないけど)

そんなことを。

 

なぜ、いまどき手渡しという昭和的で、面倒くさいことを始めたのか。パパありがとう!と言われ、自尊心を満たしたいというのもあるが、それ以上に「ある原体験」に理由がある。

それは僕が独立したての8月の暑い月末。ある仕事をご祝儀的に頂き、報酬として5万円を頂いた。記念として今までロクにしたこともない預金通帳への記帳をしようと、自転車で駅前の銀行に向かった。月末のATMは長蛇の列。しばし並んでようやくATMの前で記帳を始めた瞬間に事件は起こる。

 

僕は記帳される音を聞きながら、涙ぐんでしまったのだ。その音はわずか”ジッ”という一瞬だった。そりゃそうだ。たった1件だけだから。月末のATMで引き出した5万円を握りしめ、通帳を見つめながら涙する38歳のおっさん(当時)。

 

ある仕事を頼まれ、一生懸命期待に応え、ありがとう、という感謝のカタチとしてお金を頂く。純粋にうれしかったのだ。こんな当たり前で大切なことを、僕は分かったつもりでいた。しかしどこかに忘れていたのだ。ジッという音の中に、自分の手で稼げた実感やお客様の役に立てた嬉しさや感謝の気持ちが詰まっていた。

 

上場企業でそこそこのお給料を頂いていた時には僕になかった「お金」の見え方。月末になると当たり前のように振り込まれ、引き出して使う。もっと給料増えないかなと思ったり、今月末はピンチ!もっと上司の評価を得るには・・などとありふれた日常にあった「お金」のほんとうの正体に気づけた瞬間だった。

 

今はありがたいことに記帳の音は当時より長くなった。そしてジジジッという音は今でも僕をきほんに立ち返らせてくれる。だから毎月必ず記帳している。そして、僕の原体験を子供たちとシェアし続けたいと思っている。

 

会社の売り上げが伸びない、営業成績が伸びない、給料が安いといった不満や悩み。もし僕だったらこんなシンプルなアドバイスをしてみたい。

「一度お給料をすべて引き出して、自分の手に持ってジーッと見つめてみよう。」そして自分の頭で考えてみよう、このお金たちの正体というものを。そこにしごとの大切なきほん、結果を変えるための行動のヒントが透けて見えてくるはずだから。

 

*****

今月もお疲れ様でした。今日は月末、我が家ではお金の話しをすこしだけする日です。あなたの話題ももしかしたら出るかもしれません。感謝しています。

 

 

 

つながる力。

(たぶん、あなたはこのブログの存在なんて知らないと思うけど)

「つながりましょう」。僕がもっとも伝えたかったのは、この一言だ。

いま世の中は、みんなの価値観もバラバラで、すぐ変化していくし、ますます複雑さを増していく。だから、仕事においてもくらしにおいても、困ったことの解決や何かを新しく始めたい時に、自分ひとりだけで解決できることは極めて少ないはず。1つの正解があればいいけど、ないでしょ?

 

例えば、僕がいま直面している子育てにだって、1つの正解なんてない。だから妻と話し合って、正解ではなく、納得できる解を紡ぎだそうと日々努力している。不断のブレストです。

 

どんどん、人とつながろう。必要なのは、つながる際のちょっとした声かけとアホな答えを言える勇気だけ(笑)。最善策はたぶん、となりの人がもっている。脳と脳がつながると、一気にアイデアの数が増えたり、ひとりじゃ絶対に思いつかない視点が目の前に現れたよね。スパイラル状に楽しくなっていく、あの感覚です。

 

忘れがちだけど、あなたも僕も決してひとりじゃないのです。そして、”生きた答え”はあなたやチームの仲間がたくさんもっていることを忘れないでね。

 

今週はみなさんの素敵な笑顔とパワフルさにたくさん元気を頂きました。来月にまたお会いできるのを、心から楽しみにしています。

 

 

折り返し地点。

たまたま観た昨日のガイアの夜明けでは「人生100年時代の働き方」がテーマでした。100年ですよ、人一人の人生が1世紀という時間軸で考えなきゃいけない世界初の国。今時点で男子も女子も平均寿命は80歳を超えています。(ちなみに江戸時代は30〜40歳といわれています)

 

あなたは人生の折り返し地点って何歳ぐらいだと思いますか?

僕は今まで40歳と思っていました。だから、40手前でサラリーマンという生き方を卒業し、自営業に転身しました。40歳まではいろいろな方々から「頂く人生」として。40歳からは様々な方々に「与える人生」へ。

でもね、100年を想定するのが現代なんだそうです。なんなら今の子供達が大人になった時には120歳ぐらい当たり前になっているかも。まだなんとなく65歳で定年を迎えて・・・なんて思ってませんか?ちょっとその幻想を振り払う必要がありそうです。仮に65歳で会社人生を卒業したとしても、その後35年間どう生きますか?私はまったくイメージがありません。正解のない時代と言われますが、まさにこういうことなのでしょう。

 

僕は明日、43歳の誕生日を迎えます。そして、人生の折り返し地点を40歳→50歳に修正します。まずは50歳までのあと7年間、がむしゃらに楽しく階段を登ろうと思っています。(なので、まだまだ色々な方々から頂きます、笑)この7年間で折り返し以降のライフワークについても基礎を作っていこうと思います。ひとつ言えるのは、これからは富士山のように、人生ひと山という生き方ではなく、ふた山、み山という生き方へのシフトが必要になってきている、それが100年人生の山脈的な歩き方(生き方)なのだと思います。

 

先日私の大好きなお客様の一人からのメールに、こんな一行がありました。

「こまごめさん、もっと営業すれば(攻めて)いいのに。」ありがとうございます。遠慮なくむちゃくちゃたのしい企画を提案しますよ!

 

いつ人生の幕が下りてもいいように、この1年も毎日を笑顔で楽しんで過ごしたいと思います。

 

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妻が予約をしてくれた北新地の「Salon du Kuma3 」にてランチ。
久しぶりに二人でゆっくり会話ができました。最高のプレゼントでした。

 

 

自己嫌悪というスイッチ。

人材開発の仕事をするプロとして、こんな内容はあまりおおっぴらに言っちゃいけないことなのかもしれない。でも、もしかしたらいつか、あなたの参考になるかもしれない。そう感じたので、記そうと思う。

 

「自己嫌悪になったことってありますか?」

僕は40数年生きてきた中で、何度か強烈な自己嫌悪に陥った時期がある。実はここ最近がそうだった。久々にそれはやってきた。疲れが抜けなくて体調がすぐれないという状態でもあったが、妙にイライラし、子供に腹を立てたり、妻と言い合いをしてしまうことがあった。ついには先日の朝、あることでカッとなり小1になったばかりの長男の胸ぐらを掴んで、声を荒げて言い聞かせた。その勢いで長男の胸に爪が引っかかって傷をつけてしまった。しかしその場では自分を正当化し、子供に説教した。

 

その日は休日であったが、僕は腹の底から自己嫌悪の1日だった。長男はケロッとしていつもどうり、公園で一緒に遊んだり、ご飯を食べた。いつもの休日の過ごし方だった。でも僕の心の中は、ざわついたままだった。

夜になり、僕は眠れなくて家族が寝静まった深夜にひとり、ノートにモヤモヤな心情を吐き出すことをした。いつもセミナー参加者にお伝えするあのやり方だ。しかし、いつもと違いなかなかペンが進まなかった。ようやくつらつら感情の断片を書き出しながら、頭が整理されてきたのは次のようなことだった。

 

・親は子供に対して、威張って怒ってどなってもいい?

・親はえらいものだ。子供は親の言うことを聞くものだ。親が口うるさく言わなければ、この子は育たない?

・私がこの子に教え込まないと、この子はまともな子にならない?

 

 

・・・違う。僕は完全に間違っている。

 

本当は、親が子供を育てているのではなくて、この子から親が育てていただいているのだ。

 

この子が何をしても、どんな状態でも親が絶対に腹を立てない、怒らない、声を荒げない、苛つかない、という人格を身につけるために、この子がいる。言ってみればその訓練のためにこの子は我が夫婦のもとにきてくれたのではないか。そんな内なる声が聞こえてきたのです。

子供に怒鳴ってもいい、イライラしてもいいと思っていたのは、親である僕の完全なる思い込みであり、勘違い。ただ自分が未熟なだけ。そこを自己正当化しちゃいけないのだ。それは僕の弱さに過ぎない。その弱さの上で教育論、理想論、観念論を子供に教え込む(むしろ押し付ける)という方法論は全く役に立たず、意味がない。この子が言うことを聞き動いた時というのを振り返れば、その子自身に私が喜んだ時、感謝した時、誉めた時に限っていたはず。怒りで動かしたことが長続きした試しはない。そうだそうだった、と大切なことが次々浮かんできた。

 

「自己嫌悪というスイッチ」は、カンタンに自分の生き方を変えてくれる。

これまでもそうだった。自己嫌悪とはすっかり忘れていた大切なことを教えてくれるメッセンジャーのような存在だ。僕はこの日の深夜に心に決め、ノートに書いた。

「今後子供に対してどんなときでも怒らない、いばらない、怒鳴らない、声を荒げない」ということを。もしこの実践を24時間、365日できるようになったら・・・こんな人をたぶん人格者と呼ぶのだろう。そして、そんな親に対応するような子供になるのだろう。僕はまだまだ未熟者だ。だから僕自身がもっと成長しようと思う。

先人が言ってきたように、きっと親はいなくても子は育つのだろう。もしかしたらこの子の人格形成にとって親の存在というのは実はあまり関係ないのかもしれない。それぐらいの考え方で、ひたすら「実践者の父」になってやろうと思う。

 

自己嫌悪というスイッチがカチっと入ると、あとは勝手に心地よい方向に行くものだ。なぜなら行動の選択が自然と変わるから。

僕は次の日、我が子の登校に途中まで一緒に歩きながら、傷つけたことを謝った。そして、「パパはあの日、自分のことがすごく嫌いになったんだ」と正直に打ち明け、昨夜思ったことや決意したことを息子に話してみた。息子は、ぽか〜んと黙って聞いていた。特に言葉はなかった(心なしか表情が明るくなったように思えたけど)。

 

たぶんいいのだ、これで。