「受けの美学」という態度のススメ。
筆者はかつて、大のプロレスファンでした
人生で大切な基礎をプロレスから学んだ、と言いたいほど、少年時代はプロレスLOVEでした。
地元の体育館に時々やってくる地方巡業。
当然マストで参戦、いや観戦です。
「いい大人が、なぜ派手なパンツ一丁で叩き合ったり寝転んだりしているのだろうか?」
そんな素朴なギモンは当時の筆者(少年)には微塵もなく、ひたすら声を上げ、汗を流し、興奮していたものです。もちろん愛読書は週刊プロレスと週刊ゴング・・・
なぜこんな昔話を・・・?
昨夜NHKプロフェッショナル仕事の流儀をたまたま観たからです。ある36歳のプロレスラーにスポットが当たっていました。
もう10年以上めっきりプロレスとは距離を置いていた筆者でしたが、再びプロレスを観たくなる熱のある内容で、思わず気付きをメモをした次第です。
プロレスに伝わる至言
プロレスには「受けの美学」という言葉があります。
あえて、相手の技を真正面から受けるのです。
受けて受けて受けまくって、相手が力尽きてしまうまで、受ける。相手の攻撃にフラフラになっている姿は一見無様かもしれません。
でも、男としてカッコいいのです。受け続けるのは相当な勇気がいる行為。そして対戦相手へのリスペクトという精神的な意味合いすら筆者には感じます。
彼らがプロとして日々身体を鍛えぬく理由がそこにあります。
普通の感覚では理解できないかもしれません。
なぜなら、私たちは大人になると、嫌なことはできるだけかわしたりよけたりします。
それが世の中のまともな生き方であり、正解だからです。
しかし筆者は、「受けの美学」という言葉から、人生において大切なもう一つの視点を手渡されているように思うのです。
例えば筆者がまだキャリアが浅い時分、研修講師をした際に受講者から出てくる否定的な意見や反論に対し、焦って露骨に封じ込めたり、かわしたりしていた苦い思い出がよみがえります。あの時の参加者に申し訳ない思いです。
まだまだ青臭い若手レスラーのようでした。まさにヤングライオンでした。
これがもしリング上だったら、大ブーイングです。
そんな仕事に観衆は共感しないわけです。
しょせんショーなんだからさ、なんて訳知り顔で言わないでほしい。
プロレスの醍醐味は、決して勝ち負けだけではないのです。
あえて困難に挑んでいく姿を人は観たいのです。ボロボロになりながらも諦めない姿に人は感動し、応援したくなるのです。
だからこそ、受けの美学のススメ
筆者はいま講師として、受講者からの異論、反論、様々な質問という名のチョップを進んで受けにいきます。そういうの大好きです。
受けて受けて胸が真っ赤に腫れ上がるほど、燃えてくるのです。
自分の至らなさに頭を垂れること多々ありますが、受けの美学は人を確実に成長させます。逆に受けの美学という態度なくして、どう人間としての胸板を厚くできると言うのでしょうか。
ちょっと熱くなってきたので、整理します。
自らの能力を最大限に引き出すには、困難をかわす、逃げるのではなく、あえて受けていくという態度も大事である。そして、その姿を観ている人は必ずいるということを忘れない。
人生という名のリングでも通じることですね。
プロレスってやっぱりいいなぁと改めて、昨日のテレビを観ながら思い出した次第です。
今度息子を連れて観に行こうかな。
ちなみに。
このプロレスメタファー、妻には1mmもウケません。。
「管理職なんてなりたくないサー」と即答するあなたへ
「村さ来」で悔し泣きしながら呑んだサワーの味
筆者が社会に出たのは1997年です。
日本経済がちょうどピークアウトしたタイミングで、じんわりと社会が冷え始めてきた時期。
世に言う「就職氷河期」といわれる社会でした。
そんな中でたまたま某サービス企業に就職できた筆者。
最初はまったく組織に役立たずでしたが、当時同期同士で共通の話題のひとつは「出世」についてでした。
管理職に昇進すること。
これが会社員の王道の成功モデルであり、憧れのゴールでもあったわけです。
同期が先にリーダーとかになった日の夜は、悔しくて悔しくて駅前にあった「村さ来」という居酒屋で夜通しサワーを呑んだくれたという、なつかしい思い出もあります。あのサワーは苦くて美味しくなかった…
そんなこと当たり前の空気感が時代にありました。
出世したくないという、若者にみる違和感
ひるがえって現在。
企業で研修講師をしていると、たびたび真顔で言われます。
「管理職ですか?あ、イヤです。(なりたくない)」
それはそれは見事な即答をしてきます。
たしかに管理職なんて、今の時代においてはかっこいい存在ではないのかもしれません。プレイング業務はそのままで、責任と上下からのプレッシャーが追加される、飲み屋では上司は酒の肴どころかアテ、でしょうか。そんな何の得もない負荷大の罰ゲームですか!?ぐらいに見えているのかもしれません。
当の管理職はといえば、やれ部下育成しろ、とか経営視点をもて、とか、新手の管理職研修出ろとか、ファシリテーターやれとか言われ…
勇気を出して若手に注意してみれば、「それはパワハラなのでは?」とか疑惑を持たれ。
もうやってらんねぇよ、となっている人もいるのでしょう。(アレコレ俺にできるわけねぇだろ!と実際吐き出していた方がいましたが)
筆者も末席でしたが管理職経験がありますので、一定の理解と共感はしたいと思います。組織で管理職をしていた当時の方が今より老けていましたからね。白髪も多かったし。。
いま仕事でお会いする管理職をしている方々、たしかに表情疲れ切ってますもん。
まだ午前中だというのに、もう夕方のような疲労感を漂わせている方と会うと、いつかの自分と重ねたりすることもあります。
そりゃ若者たち、なりたくないと言うのも一理あるかもしれません。
しかし。
そんな現状をわかっている上でも、管理職への昇進や、出世を望まない若者たちに筆者はある違和感をもつのです。何か大切な視点を忘れているように思うのです。
そもそも出世するというのは、どういうことでしょうか。筆者はこう思います。
自分に対する周囲からの信頼残高がたくさん貯まった、その結果なのだ、と。
「あなたなら任せられる」そう周りから認められた総量の結果であり、証なのです。
出世なんてしたくないし、しなくていい。
でも私のことをいっぱい承認してほしい❤️
あなたはそう思うのでしょう。
大丈夫、安心してください。出世しませんから。
なぜなら、今まだ出世していないということは、まだまだ周囲からあなたは信頼されていない状態と言えるからなのです。
それは決してあなたのほんとうの理想の姿ではないはずです。
仕事をするからには、周囲から信頼をされてこそ、本当の面白さややりがいが分かってくるのだから。
管理職になりたくないとか、出世したくないとか言う余力があるならば、もっと周囲からの信頼を獲得していくアクションをたくさん起こしましょう。
決して今「なりたくないゼ!」とか声高に言い張ることではないのです。
いつか管理職になるかどうか、それは結果です。
もし将来出世したとしたら、その立場になった時にしか分からない、そこでの素晴らしい景色があります。
重いものを背負った奴しか分からない苦労と、その先にある成長が待っているのです。
ちなみに筆者が今コンサルタントとして独立して食べていけるのは、管理職の経験のおかげです。管理職経験がなければ、もっと薄っぺらいオッサンになっていたでしょう。
周囲から信頼を得て、結果として管理職を経験できること。
人生でとても大事なことだと思います。
これはイヤを通り越して一回ヤレ、そう整理したいと思います。
論理とは、愛なのだ。
そもそも論理とはなんだろう?
筆者はシンプルにこう思います。
『ある問いに、理由と共に答えること。』
多くのお父さん、お母さんは、わが子からある年齢に差し掛かると「なんで?なんで?」攻めに合います。微笑ましいことです。
それはね、こうだからよ。
それはね、こうだからよ。
それは、えーと、、、(しつこい)。
まさに今、子供とそのやりとりをしているお母さんもいれば、幼き頃そうだった男子も女子もいるでしょう。
我が家の子供はその真っ盛りです。
親は一生懸命に、ときにテキトーに答えます。
(正直面倒くさいことも多い)
でも問われれば、答え続けるのです。
なぜ親は答えるのでしょうか?
そこに愛があるからに他ならないからです。
論理思考とは何か、とっつきにくい小難しそうなビジネススキルという冷たい印象を持つ方も多いでしょう。捉え方によっては、そうなります。
しかし実は、幼き頃よりご両親からあなたの肌に刻み込まれた、愛のやりとりでもあるのです。
想像でもいいし、思い出せばいいのです。
そして、演じればいいのです。
「それはね、こうだからよ。」
論理とは愛なのだ。
ノウハウより本心
ある社長から真面目な表情で、
「あんた、渡部建に似ているね」と言われました。
どうリアクションしたらいいのか一瞬戸惑い、
思わず
「ううっ…コ、コジマだよ!」と相方の真似をしてしまいました。
・・・まだまだ未熟な筆者です。
筆者が、独立する際に起こったこと
筆者がそうしたように、会社員から起業したり、個人事業主、フリーランスになる方も今後ますます増えていくでしょう。自らの立ち位置、働き方を自分の意思で選択できる良い時代です。
もしもあなたが独立という選択をするのなら、心から拍手を送りたいと思います。
その上で、筆者が落とし穴に落ちそうになったことを1つだけご参考までに書きたいと思います。
要は、独立起業といった立場を変えようとすると、
玉石混合のノウハウ、テクニック系の情報が津波のように襲ってきます。
あのひとはこうして短期間で成功した、こうすればカンタンにうまくいく、これだけは絶対するな!・・・。
この手の情報が、特にサラリーマンを辞めた途端にたくさん視界に入ってくるのです。
カラーバス効果というやつです。
筆者も片っ端から漁る一人になりました。
不安だったからです。
そして、失敗せずにうまくやりたいから。
本屋に寄っては、独立したときに読むコーナーを端から端まで読み倒していました。
起業セミナーに参加してみたり(せなあかんと思いながら)
もちろん勉強になりました。
気持ちも素晴らしく高揚してきます。
しかしその反面、情報を得れば得るほど、安心するどころか不安が増してくるのです。
あれもできていない、これもやらないと。
こうすべし、それはマストなのか、お金かかるな。。
こんな名刺を作って、HPも・・あれやこれや、と。
情報に踊らされるとはまさにこのこと。
自分から離れなくていい
筆者は幸運でした。
当時的確なアドバイスをしてくれた師であり友人の作家がおりました。
(今やベストセラー作家です。)
彼は恵比寿のスタバでまっすぐ筆者に向かってこういいました。
「情報を見れば見るほど人は迷う。そのうち自分が何をしたかったのか、肝心なことがぼやけてくる。シンプルにたった1人のお客さんを作ることに集中した方がいい。」
そして、
「いまKさんが大事なことは、自分から離れないこと。自分で居てください。」
思わず涙が出てきました。
筆者は何者かにならなければ、といつの間にか我を見失っていたのです。
自分で居ていいのだ、その一言で筆者は冷静に自分を取り戻すことができました。
簡単に他人の成功やノウハウが手に入る反面、自分で居ることって難しい時代なのかもしれません。
もちろん情報はヒントや学びになります。
ノウハウも大いに参考にしたいもの。
ただし、あれこれノウハウに手を出す前に、自分の本心を忘れないことが大事です。
ノウハウは無限にあるがゆえ、フクザツな自分に変質していきます。
まとめると
・ノウハウは限りなくある。
・あれこれノウハウに手を出す前に、本心からスタートしよう。
・今もし迷っていたなら、本心に立ち返ればいい。
「本当は、どうしたいのですか?」
整理するキーワードです。以上、ご参考までに。
今年中にあなたの器を大きくするたった1つのこと。
どんなに知識や技術をもっていたとしても、最後は人間の器が試されます。
これは仕事のみならず、子育ても含めた暮らし全般そうです。
そもそも人の器とは一体何なのでしょうか?
いろんな解釈はあるかと思いますが、筆者はこう定義したいと思います。
【他者の批評、批判、悪口、文句、愚痴を言わないチカラ】
どうでしょうか?
書いていてなんですが、筆者自身が最近1日もできていないことに愕然としてしまいます(汗)。
ついさっきも2才児の駄々こねに対して、つい声を荒げてしまい自己嫌悪の最中だったことをすっかり忘れておりました。
やっぱりこのテーマをやめようかとdeleteキーに指がかかりましたが、ある方に手渡したいという思いから、続けることにします。
筆者がかつて会社員時代の話です。セールス目標をなかなか達成できずに首の皮一枚の崖っぷち状態になっていた時期がありました。
結果にコミットという某RIZAPのCMを見るたびに、当時の営業会議を思い出します。
まるで毎日がデレッデレッ🎶のビフォーの姿みたいな状態でした。
なんとかこの状況を抜け出したいあまり、筆者は考えあぐねた末にどうしたかというと、お客様にその解決法を尋ねるという愚行、いや、若気の至りこれに勝り的なことをしたのです。
すると、ある仙人のような社長から次のことを教えられたのです。
「今から騙されたと思って3ヶ月間、他者の批判、批評、愚痴、文句、悪口をいう事を一切封じてみなさい。」
もしそれができた時、君の成績は黙ってても勝手に上がる。
万が一出なかったとしても別の仕事やりゃ上手くいくから。
ー やっぱり、転職ですか。
しかし、他になす術もなかった筆者は素直にその日から3ヶ月間試行し始めたのです。
批判、批評、愚痴、悪口を言わないと人はどうなっていくのか?
想像してみてください。
これは実際やってみて分かったのですが、
めっさ無口になります。
そして、気づくのです。
いかに自分が普段、空気を吐くように他者や周囲のことを批判、批評、愚痴、悪口をたくさん言っていたのかということに。もはや日常の9割ぐらいがそれらだったんかい?というかのように何も話せなくなります。仕事のできない理由がしみじみとわかってきます。
まずは一見無口でつまらない男になります。
周囲からは、どうしたん?機嫌悪そうやん。体調でも悪いのか?などと声をかけられます。
この過程で、いかにスマイルで耐え忍ぶかがキーポイントです。高倉健になりましょう。
静かにしていると、誰かが誰かを批評している声のガヤガヤがよく聞こえてくるものです。
ああ、オレも誰かを批判したい、文句を言いたい・・・・
禁断症状が襲ってきます。
悪魔の声がささやきます。「言っちゃえよ〜」ここ我慢です。
ましてや飲み会などで周囲の誘惑に乗ってしまってはアウトです。
会社員の飲み会では、会社批判、上司批判が酒の肴です。そりゃ盛り上がりますもん。
黙々ニコニコと食べ、飲み、できるだけ1次会でさっと帰ることが肝要です。
3週間も経つと、次第に慣れてきます。
すると、筆者の内面にある驚きの変化が生じてきます。
他者の良いところにやたら気がつけるようになるのです。
気がつくと、それを伝えたくなります。
もっと具体的言えば、ほめたり、ねぎらったり、感謝することが増えてくるのです。
あれほど嫌だった上司に対してすら、感謝の念が湧いてくる(ちょっと言い過ぎた)
ほんとうは、自力本願より他力本願でいいのかも。
他者へ感謝する総量が増えると、それはなんと自分への応援という形で返ってきます。
何でもかんでも自分一人で悩みもがく必要はなかったのかもしれません。
自力、自立と言われる厳しい世界でしたが、本当に仕事ができる人たちは、実は他力を上手に活かしていました。
組織で仕事をする本当の理由はそこにある、ようやくそこに気がつくのです。
そして器は大きくなったのか?
人の批評や批判、愚痴や悪口はほぼなくなっていました。気持ちがいいものです。
そして、何より毎日の仕事が楽しくなっていました。
自然体でいられるようになってきた感覚です。
よく言われるように、他人と環境は変えられません。
ならば、変えられないものには感謝で付き合えばいい。
成果は、、、いわずもがなですね。
誰しもこのトレーニングで器は変わってくるでしょう。
しかし同時に、人は弱い生き物です。
意識が薄れると、また他者のことをああだこうだいい始めます。
筆者自身も、自戒を込めてまだまだ修行が足りないと感じる日々です。
どうでしょうか。
よかったら、あなたもこの年末まで試しに一緒にやってみませんか?
【他者の批評、批判、愚痴、文句、悪口を一切言わないマラソン】
あなたの毎日が5ミリでも前に進むことを祈っています。
感覚的なことを、数で把握する。
今、気がかかりなことは「何個」ありますか?
筆者が講座でよく投げかける質問です。
たいていの方は、「は?何個?」という表情をします。
思考を整理する秘訣は、感覚的なものを「数」で把握することです。
多くの人は悩みや不安などをモヤモヤのまま抱えています。モヤモヤというのは、煙のごとくよく中身が見えません。
目に見えないものは、ネガティブな想像が肥大化していきます。
「数える」というのは、「見る」という主体的な行為です。
もし幽霊の正体が見えたら、それほど怖くないはずです。
不安というのも、ぐっとその正体が見えたら、何にも怖くないのです。
「ではもう一度。気がかりなこと、いくつぐらいだと思いますか?」
う〜んたくさん。何十個もありそう・・・。
「では(恒例の)思いつく限り、紙に書き出してみましょう、どうぞ。
・・・何個でしたか?」
たった5個でした。しかもどうでもいいものが3つある。
「今、本当に何か解決に動かなくてはならないものは?」
・・・1個です。
なんだかわからないけどたくさん → 1個。
そりゃ気がかりなことなんて誰しも抱えています。
大事なことは、なんとなく、ぼんやりしたまま抱えないことです。
数をかぞえてみましょう。
要は、限りなく「定量化」する。
”なんだ、たったこれだけかよ”。
この把握ができれば、心は随分軽くなるはずです。
数をかぞえる習慣は、あなたを仕事のできる人にする
仕事も同じです。
空回りしている不器用な人は、仕事をぼんやり感覚的に捉えています。
アレもコレもいっぱいで、なんか忙しい!時間がない!となります。
具体的な「数」で把握していくと、自分は何が見えていて、何が見えていないのか、
自分で仕事を客観的に見ることができます。
客観的に見ることは、全体を掴むことにつながります。
よく優先順位を付けよう、と言われます。
でも意外に難しくないですか?この優先順位ってヤツ。
筆者の経験上、順位はそんなに要りません。
1位は必要かもしれませんが、2位以下はどうでもいい。
順位付けにムダに時間とエネルギーをかけたりしないことです。
大事なのは、「いま最優先が何なのか?」が分かればいい。
最優先を決めたら、即動く。
もし仕事を「数」で把握できていれば、最優先が何かを見つけやすい。
逆に、なにを捨てるかも決めやすいのです。
人は見えると、分かります。
人は分かると、動けます。
人は動くと、成果が出ます。
いま空回りして焦っている方、不安で動けない方、
少し落ち着いて、数をかぞえることからはじめてみてはいかがでしょうか。
カンタンな整理技術です。よかったらお試しください。
ではでは。
本を100冊ゴンっ!と捨てられるようになった理由
あなたは、本を捨てられますか?
筆者は、読書がライフワークです。
仕事にも直結しているので、本には投資を惜しみません。読書という習慣にはメリットが沢山ある反面、物理的に増え過ぎると困ることがあります。
部屋の本棚が常時、満員御礼。
入りたいけど入れない本たちがデスクの上に積み重ねられるようになります。
まるで先頃引退した安室奈美恵さんのドームコンサート状態です。
スペースがなくなるので、定期的に100冊以上ゴンッ!と捨てます。
そのタイミングがぼちぼちやってきました。
めっちゃすっきりするささやかな個人的なイベントです。
ー えっ、売らないんですか?
ドS並みに線をバリバリ引いたり、折ったり汚すのでなかなか売れません。
(パラパラ見てこれ違ったな〜という時は妻がメルカリで売ってくれます。)
かつては捨てられませんでした。
正直に言うと、筆者が若い頃は学歴コンプレックスがありました。
それをテコに、社会人になってから読書中毒になります。
コンサルティング会社に入ってからは、さらに狂ったように拍車がかかりました。
知識を豊富にすることで、周囲に引けをとらないようにしようと当時は必死でした。
本(知識)というヨロイでガチガチに武装していたわけです。
そんなある時、筆者は辞令で大阪から東京転勤になります。困ったのは、これらの本を持って行こうかどうしようかです。
当時の心境としては、すべて持っていきたい。
しかし東京でのマンションには置くスペースがありません。
「最小限に絞ろう」。
悩んだ末に、3冊だけ東京に持っていくことにしました。
どうやって3冊にしたのかは割愛しますが、一晩中悩んで決めました。
今まで多くの本という知識に依存してきた筆者は、そのヨロイを脱ぎ捨てて東京に行くなど、まるでパンツ一丁で戦えと言われているに等しい、そんな悲痛な思いでした。
ーあぁ、寒々しい・・・
本がないとこんなにも不安なのか、という気持ちで東京での仕事がスタートしました。
しかし、知識というヨロイを脱ぎ捨てたからこそ気づけたこと
知識というものは、忘れていきます。
すると人は、どうなるか?
誰かの借り物の言葉ではなく、自然に自分の身体にくっついている言葉で語り出す、のです。意味不明なカタカナ用語もほとんどなくなり、いわば小学6年生でも分かるくらい平易な言葉で、筆者は対話をするようになっていたことに気がつきました。
これまでのぼくは、ずっと借り物の言葉をあたかも自分の言葉かのように必死に使って、時に悦に入っていたのかもしれません。ある社長にかつて言われた「ぼくはね、あ・な・たの意見を聞きたいんだ」という言葉の本当の意味がようやくわかった瞬間でした。
むやみに知識をため込んでいくのではなく、どんどんどんどん捨てていく。
知識がないと、虚心坦懐で自らの内側を探るしかなくなります。
そのアウトプットは技術的には稚拙だったりもしますが、シンプルな本心の言葉であり、それは相手にすぅーと届くものです。
知識を捨てるなど一見、時代と逆行しているようにも感じますが、当時筆者が感じたその効用には素晴らしい気づきがありました。
100冊捨てても、だいじょうぶ。
イナバ物置のCMではありませんが、今は思います。
なんか知識メタボになってきたな、と感じたら、思い切って減らす。
その具体的行動が、本をゴンっ!と捨てることなのです。
(100冊ぐらいの量を捨てる語感が「ゴンっ!」)
やってみた人にしか分からない爽快感がありますので、もしもやってみた方がいたら感想を教えてくださいね。
またやってみたいけど、、という方には筆者よりエールを贈ります。
ここまで読ませてなんですが、「100冊なんてねぇよ」という方。
もちろん1冊からで大丈夫なので。それでは。