THIS IS ME!
6年前、独立して個人事業主になる際、ベストセラー作家の師であり友人に言われた一言を思い出す。
「自分から離れないこと」。
当時のぼくは、独立して成功するためのノウハウや他人の成功談をかき集め、
アレもコレもやらなと焦りや不安でいっぱいのタイミングだった。
情報メタボ状態だった。
「何者にもなろうとしなくていい、自分から離れないことがいちばん大切だから。」
情報の洪水で溺れかけていた中のこの一言で、
ぼくはぼくの軸でやっていこうと思えた。
そう、「THIS IS ME」。シンプルでいいのだ。
昨日久々に妻と観に行った映画には同じメッセージがあった。
その映画とは、
『THE GREATEST SHOWMAN』。
一言でいうと、ぼくの中で「本年度NO1の映画」。
観ながら食べようと買っていったプリングルスの蓋を開けるのも忘れるぐらいオープニングのダンスと音楽から圧倒された。
最初だけでなく、終始。
大げさに言えば、こんなに感性を揺さぶられた映画って人生の中であっただろうか・・ぐらい。
ストーリーはシンプルだけど、音楽、セリフ、役者それぞれの才能と個性が組み合わさると、こんなにもガツンと心に響き、揺さぶられるのかと・・ミュージカルってさぁ、、と今まで軽んじていた自分が恥ずかしい。
あっという間の105分間。最高のショータイムだった。
「誰しも、なにか才能がある。自分を活かせる場所がある。大切なのは、君らしさを忘れないこと。THIS IS ME!」
この映画には、これからの仕事だけでなく日々の暮らしや子育てにも通じる至高のメッセージが満載。
受け取り方は観る人によって違うと思う。
しかし日々の自分を省みたり、前向きに未来を生きていくためのヒントはたくさん受け取れるだろう。
この映画を観終わって、興奮冷めやらぬ妻と平日の昼間からワインを飲みながらあれこれ語り合った。(長男の塾どうしようか、なんてどっか行ってしまった。)
すべての悩みや問題は前向きになった途端、チャンスに変わっていく。
よかったら黙って今度の休日に、観に行ってほしい。
楽しむという姿勢。
週末の夜、梅田のキャバンクラブにいた。キャバクラではない。
30年続く老舗ビートルズライブハウス。
かつて全盛期には毎晩のように満席だったこともあったそうだ。
その日は、ゆったりできるほどのチラホラの客入りだった。
ぼくはビートルズ世代ではないが、ほぼ曲は分かる。
18歳で上京し、初めてバイトしたのが「アップル」という名のカフェ。
そこのオーナーがビートルズの熱狂的なファンで、お店ではずっとビートルズがかかっていたから。
あの頃のぼくは、失敗ばかりで叱られることが多く、しばしば胸が痛かった。
バイト終わりに、先輩にチクチク説教されているバックでよく流れていたのが、
今思えば、「LET IT BE」(だった気がする)。
そんな昔の苦い思い出が走馬灯のように駆け巡りながら、ステージに目をやる。
4人のアーティスト。
彼らの演奏は素晴らしかった。トークも温かくて面白い。プロだった。
あれは一朝一夕にできるものではない。相当な場数を積み重ねているのだろう。
しかし余計な御世話だが、ビートルズのコピーバンドという仕事で食べていけるのだろうか。そんな下世話な思いがよぎる。全国のライブハウスを回る仕事。そんな人生もあるんだなぁ・・・。
しかし、そんなぼくの余計な思いは、次第に己の恥ずかしさに変わっていく。
この4人、ずっと楽しそうなのだ。
めっちゃ楽しそうに演奏し、歌い続けている。
つまり、楽しんで仕事をしているのだ。楽しむというのは最強だ。
観ているこちらまでその楽しさ、熱は伝伝染する。気づけばぼくは手をたたき、一緒に声を張り上げていた。
レリビー、レリビー、レリビー、レリビ〜・・・・ああ楽しい。
「俺らはこの仕事、最高に楽しんでいるぜ。お前はどうよ?」
そう問われている気がしてドキリとした。
楽しむ、ということより、胸の中はうまくやろうとか儲けようとか、先々の不安とか納期がとか、あの人との関係がとか、なんか最近は損得ばかり計算している気がした。
あ〜大事なことを忘れていたぜ、ビートルズさんよ。
そういえば『論語』の中でも孔子は言っている。物事は「知好楽」だぜ、と。
”知ってるだけの人は、好きでやっている人にかなわない。
好きでやっている人は、楽しんでやっている人にはかなわない。”という意味。
基本はレットイットビー。
結局、「楽しむという姿勢」だけあれば、自然と物事は上手くいくのかもしれないよ。
そうポールマッカートニー似の彼が言ってるような気がした。
明日から原点に返って、ひたすら仕事を楽しもう。
今夜もあの名も知らぬビートルズ風の4人はどこかで伝えているんだろうなぁ。
「俺らはこの仕事、最高に楽しんでいるぜ。お前はどうだ?レリビー」と。
あなたは自分の仕事を、楽しんでいますか?
1日3笑い。
「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」
そう言ったのは「幸福論」という名著を書いたフランスの哲学者・アランという人だが、あなたは1日に何回腹から笑っているだろうか。
月1回ペースで、ある企業の若手メンバー対象に講座をしている。
一人ひとり自分の目標を書き出そうという時間に、
シートに向かって彼は悩んだあげく、「1日3笑い」と書いた。
そりゃ笑うことは大事だけど、、、と思いつつ、何か違和感を持ちながらもその場では少し様子を見てみようと思った。
その後、立てた目標に対して、日々どんなアクションを行い、どんな気づきや変化があったのかを週に1回報告してもらっている。
「1日に3回笑うこと」。
これ、あなたは目標として簡単すぎると思う?
簡単すぎるぜ、もう少し目線を上げてさ、、とぼくは正直感じていた。
人のアウトプットに批判するのは簡単だ。
だからぼくはポリシーとして、まず自分がやってみてから経験に照らして感じたことを併せてフィードバックしようと思った。
先週、1日に何回笑っているかをカウントしてみた。
どうだったと思う?
・
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愕然とした。意外に笑っていない(笑)
平日のある日なんかは、1回も笑っていないのだ(心から)。
もちろん、自宅で幼い我が子相手に笑みは浮かべたりする。
しかし腹から笑ったりしていない。
この事実に愕然としてしまった。
実は結構むずかしいのだ。「1日3笑い」という目標は。
この所感をそのまま彼にメールで送った。「3回笑うために、工夫しよう。一緒に。」と添えて。
受け身的で無意識な自分のまま、笑えることはなかなか少ない。
笑うには、主体的に動いて物事を多面的に考える必要がある。
結構クリエイティブな頭の使い方が必要だ。
最近のあなたは、1日何回笑いに出会えているだろうか?笑いを掴みに動いているだろうか?
笑う角には、福来る。
主体的になろう、とか漠然というよりも、
「1日3回笑うこと。」
このゴールの方が、もしかしたら人は成長できるのかもしれない。もちろん幸せも。
気づかせてくれた彼に、感謝したい。
他力のすゝめ。
「最近、ポジティブ思考ができるようになってきました。」
そう笑顔で僕に言っていた彼が、間もなく会社を辞めるという。
ショックだった。
彼の悲しみや不安を理解しきれていなかった自分に久しぶり腹が立った。
彼はすべての気持ちを誰にも打ち明けることなく、
ひとりで抱え込んで、退職という選択をしたようだ。
かつて僕も「閉じていた」時代があるから、わかる。
「なんで早く、言わなかったんだ」と上司は言うだろう。
でもね、SOSをあなたに出すには相当な勇気が要る。
どのタイミングでどこから切り出せばいいか、
どこまで言ってしまっていいのか、がわからない。
日頃あなたと、不安や信頼の物差しを合わせられていない状態では、
いざという時にSOSなど、出せるものではない。
時すでに遅し。
***
成長社会が終焉してからの企業は常に社員に自立を求めている。
たしかに正解のない多様で複雑な社会において、
まずは自分で考え、行動できる人材は必要なのだろう。
しかし自立型人材を育みたいなら、前提がある。
そこに「安心や信頼」があること。
その土壌がない職場において、ただ自立だけを求めることは、
孤立を生むだけなのだ、と。
まだヨチヨチの赤ちゃんに「自分で立ってトイレ行け」と突き放すようなことをする親はいない。
安心を感じるからこそ、子どもは挑戦する。
そして信頼を感じているからこそ、失敗を次の糧にできる。
失敗をしない成長などありえない。
***
あなたの人生はこれからも続く。
何かに必死で努力し、働きかけたって、逆にその努力をあざ笑うかのように、もてあそんだり、つぶそうとしたり、大事なものを奪ったり、でも、まったく予想外のところから手が差し伸べられたり、道が開けたり、、、アレコレ続くだろう。
この仕事を通じて、ようやくわかってきたことがある。
結局、「世界はつねに優しい」。
人間万事塞翁が馬。
あとから振り返った時に、あれがあって良かった。あれが自分を一回り大きくしたのだ、と思えるよう心から願っている。
生きるということは自分を「ひらく」ことだと思う。
ひらくというのは、「他力に頼る」こと。しかも積極的に、だ。
どこで働こうが、暮らそうが、閉じたままの自分では社会とつながることはできない。
自分をひらくことは勇気がいる。恥ずかしいことや傷つくこともあるだろう。
でも、次は閉じないでほしい。閉じない自分を演じてみてほしい。
そこにポジティブさを発揮してほしい。
世界はつねに優しい、という僕の仮説は
ひらきつづけることでしか感じられないから。
だから、他力のすゝめ。
もうあなたに会うことはないかもしれないので、
最後に心からのエールを。
「ひらけ!この世は捨てたもんじゃないから。信じろ!世界は君を待っているぞ。」
自分ごと力。
「それは自分には関係ない。」
言いたくなる瞬間ありますよ。でもこれを言ってしまうと、その瞬間から学びがなくなる。
成長のチャンスを投げ捨ててしまうようなセリフだよ。
はっきり言うとね、
この世界で起きていること、または存在することで、自分に関係ないことはひとつもない、のですよ。僕はそれがささやかな日常の修練だと思って暮らしている。
そう思えるか、思えないかであなたの成長は大きく差ができるんだよ、
そうオジさんはあなたに伝えたい。
新年入ってからの僕はありがたいことに例年になく東京と大阪を行ったり来たりで、
ワークショップを通して多くの人たちと楽しい時間を過ごした。
出会う人、みんな素晴らしい可能性を持っていると感じる上で、あえてもう一つ思うことがあった。たまたまかもしれないが、仕事の話でも暮らしの話でも時折、
「無関心の姿勢」が垣間見えてしまうことだ。
妙に自己完結しがちになっているように思えるのだ。
自分の仕事を狭く狭く定義し過ぎていないだろうか。
ノウハウやスキルうんぬん以前に、好奇心や関心をもつことから学びは始まる。
そこが仕事においても生きていく上でも大切なことだと思う。
あらゆる出来事を、自分ごととして引きつけて想像してみる。考えてみる。
その拡大解釈=自分ごとにする力、が今の僕たちにはもっともっと必要なんじゃないか。
これなくして、個人の成長も事業の成長もありえない。
もう一度、言うよ。
自分に関係ないことは、ひとつもない。
そう思ってみる。
それが、はじまりであり基本です。
ちゃんと言う勇気。
小雨降る中、ゆえあって渋谷にいた。
渋谷に来たのは、3年ぶりか・・
めったに来ない東京、もちろん仕事である。
ある小売業を営む企業の女性活躍推進プロジェクトのファシリテーション。
新たな自薦参加の12名の女性たちと一緒に考え議論した。
その後の懇親会を含めるとおよそ8時間。
いつも思う。
女性は共感力と言語化能力が男性と比較して長けている。
初対面同士でも、あっという間に共通点を見つけてケタケタ笑いあえる。
気づいたことを言葉に変換していくテンポ。
相手に呼応するリズム感。
反面、空間把握能力は苦手な方が多い。
この方々が顧客接点において、「真実の瞬間」を作り出しているんだなぁ。
彼女たちは、実はすでにわかっている。いろいろ見えている。
どうすれば職場に活気が宿り、お客様を喜ばすことができるのかを。
今ほんとうに必要なのは、
こうやって女性を集めて研修とかするよりも、ズバリ、男の側の意識改革なんだけどね。
その上で。彼女たちの意見には十分に耳を傾ける価値があった。これチャンスだらけやで〜と。
最後、彼女たちに伝えた。
「ちゃんと言おう。」
これまでちゃんと言うことをずっと避けてきた。
ちゃんと言うのは勇気がいる。
いつもフタしてることを、勇気を出して1回ちゃんと言ってみよう。
それだけが、現実を、自分を変えていくのです。
そして他人が笑顔に、元気になっていくのです。
2018年を「ちゃんと言う元年」に。
来週は彼女たちの上司たちとのワークショップがある。
僕が言いたいことはたった1つ。
「ちゃんと聞こうぜ。」
わかったふりとかしないでさ。
それが上司の基本のき、だから。