他力のすゝめ。
「最近、ポジティブ思考ができるようになってきました。」
そう笑顔で僕に言っていた彼が、間もなく会社を辞めるという。
ショックだった。
彼の悲しみや不安を理解しきれていなかった自分に久しぶり腹が立った。
彼はすべての気持ちを誰にも打ち明けることなく、
ひとりで抱え込んで、退職という選択をしたようだ。
かつて僕も「閉じていた」時代があるから、わかる。
「なんで早く、言わなかったんだ」と上司は言うだろう。
でもね、SOSをあなたに出すには相当な勇気が要る。
どのタイミングでどこから切り出せばいいか、
どこまで言ってしまっていいのか、がわからない。
日頃あなたと、不安や信頼の物差しを合わせられていない状態では、
いざという時にSOSなど、出せるものではない。
時すでに遅し。
***
成長社会が終焉してからの企業は常に社員に自立を求めている。
たしかに正解のない多様で複雑な社会において、
まずは自分で考え、行動できる人材は必要なのだろう。
しかし自立型人材を育みたいなら、前提がある。
そこに「安心や信頼」があること。
その土壌がない職場において、ただ自立だけを求めることは、
孤立を生むだけなのだ、と。
まだヨチヨチの赤ちゃんに「自分で立ってトイレ行け」と突き放すようなことをする親はいない。
安心を感じるからこそ、子どもは挑戦する。
そして信頼を感じているからこそ、失敗を次の糧にできる。
失敗をしない成長などありえない。
***
あなたの人生はこれからも続く。
何かに必死で努力し、働きかけたって、逆にその努力をあざ笑うかのように、もてあそんだり、つぶそうとしたり、大事なものを奪ったり、でも、まったく予想外のところから手が差し伸べられたり、道が開けたり、、、アレコレ続くだろう。
この仕事を通じて、ようやくわかってきたことがある。
結局、「世界はつねに優しい」。
人間万事塞翁が馬。
あとから振り返った時に、あれがあって良かった。あれが自分を一回り大きくしたのだ、と思えるよう心から願っている。
生きるということは自分を「ひらく」ことだと思う。
ひらくというのは、「他力に頼る」こと。しかも積極的に、だ。
どこで働こうが、暮らそうが、閉じたままの自分では社会とつながることはできない。
自分をひらくことは勇気がいる。恥ずかしいことや傷つくこともあるだろう。
でも、次は閉じないでほしい。閉じない自分を演じてみてほしい。
そこにポジティブさを発揮してほしい。
世界はつねに優しい、という僕の仮説は
ひらきつづけることでしか感じられないから。
だから、他力のすゝめ。
もうあなたに会うことはないかもしれないので、
最後に心からのエールを。
「ひらけ!この世は捨てたもんじゃないから。信じろ!世界は君を待っているぞ。」