本を100冊ゴンっ!と捨てられるようになった理由
あなたは、本を捨てられますか?
筆者は、読書がライフワークです。
仕事にも直結しているので、本には投資を惜しみません。読書という習慣にはメリットが沢山ある反面、物理的に増え過ぎると困ることがあります。
部屋の本棚が常時、満員御礼。
入りたいけど入れない本たちがデスクの上に積み重ねられるようになります。
まるで先頃引退した安室奈美恵さんのドームコンサート状態です。
スペースがなくなるので、定期的に100冊以上ゴンッ!と捨てます。
そのタイミングがぼちぼちやってきました。
めっちゃすっきりするささやかな個人的なイベントです。
ー えっ、売らないんですか?
ドS並みに線をバリバリ引いたり、折ったり汚すのでなかなか売れません。
(パラパラ見てこれ違ったな〜という時は妻がメルカリで売ってくれます。)
かつては捨てられませんでした。
正直に言うと、筆者が若い頃は学歴コンプレックスがありました。
それをテコに、社会人になってから読書中毒になります。
コンサルティング会社に入ってからは、さらに狂ったように拍車がかかりました。
知識を豊富にすることで、周囲に引けをとらないようにしようと当時は必死でした。
本(知識)というヨロイでガチガチに武装していたわけです。
そんなある時、筆者は辞令で大阪から東京転勤になります。困ったのは、これらの本を持って行こうかどうしようかです。
当時の心境としては、すべて持っていきたい。
しかし東京でのマンションには置くスペースがありません。
「最小限に絞ろう」。
悩んだ末に、3冊だけ東京に持っていくことにしました。
どうやって3冊にしたのかは割愛しますが、一晩中悩んで決めました。
今まで多くの本という知識に依存してきた筆者は、そのヨロイを脱ぎ捨てて東京に行くなど、まるでパンツ一丁で戦えと言われているに等しい、そんな悲痛な思いでした。
ーあぁ、寒々しい・・・
本がないとこんなにも不安なのか、という気持ちで東京での仕事がスタートしました。
しかし、知識というヨロイを脱ぎ捨てたからこそ気づけたこと
知識というものは、忘れていきます。
すると人は、どうなるか?
誰かの借り物の言葉ではなく、自然に自分の身体にくっついている言葉で語り出す、のです。意味不明なカタカナ用語もほとんどなくなり、いわば小学6年生でも分かるくらい平易な言葉で、筆者は対話をするようになっていたことに気がつきました。
これまでのぼくは、ずっと借り物の言葉をあたかも自分の言葉かのように必死に使って、時に悦に入っていたのかもしれません。ある社長にかつて言われた「ぼくはね、あ・な・たの意見を聞きたいんだ」という言葉の本当の意味がようやくわかった瞬間でした。
むやみに知識をため込んでいくのではなく、どんどんどんどん捨てていく。
知識がないと、虚心坦懐で自らの内側を探るしかなくなります。
そのアウトプットは技術的には稚拙だったりもしますが、シンプルな本心の言葉であり、それは相手にすぅーと届くものです。
知識を捨てるなど一見、時代と逆行しているようにも感じますが、当時筆者が感じたその効用には素晴らしい気づきがありました。
100冊捨てても、だいじょうぶ。
イナバ物置のCMではありませんが、今は思います。
なんか知識メタボになってきたな、と感じたら、思い切って減らす。
その具体的行動が、本をゴンっ!と捨てることなのです。
(100冊ぐらいの量を捨てる語感が「ゴンっ!」)
やってみた人にしか分からない爽快感がありますので、もしもやってみた方がいたら感想を教えてくださいね。
またやってみたいけど、、という方には筆者よりエールを贈ります。
ここまで読ませてなんですが、「100冊なんてねぇよ」という方。
もちろん1冊からで大丈夫なので。それでは。