校長先生のコラムに共感した朝。
朝にリビングのテーブル、あるモノに目が止まった。
小学校から定期的に配布される「なんとか便り」。
普段は1秒ぐらいしか目を通さないが、なぜかそれはふと手にしじっくり読んだ。
息子が通う小学校の校長先生の文章。
タイトルは、『子どもたちが「自信をもつ」ことの大切さ』
内容を要約すると、
・昨今全国の小学校で、こどもの自尊感情の低さが課題に上がっている。
・集団生活の中で、人と比較されたり自分で比較することで落ち込む子が多い。
・目に見える結果だけでなく、プロセスへの小さな賞賛も必要だ。
・大人にはどんな事象においても肯定していく意味付け力が必要なのではないか。
校長先生の顔は思い浮かばないが、共感する文面だった。
子どもだけではなく、大人にも当てはまる内容である。
精神分析の祖・フロイトが亡くなったのは1939年。
生前のフロイトがこんなことを言っている。
幸・不幸という認識は通信や放送が発達したがゆえ、認識されるようになった。他の人がどのように生きているかが分かり、比べることが容易になったからだ。
他人と比べることが、不幸の源かもしれない。
従来、私たちは「比べること」「競うこと」「たたかうこと」を”教育”という名のもとで教え込まれてきた。
社会に出てからも、輪をかけて比べられ、競わされる日々。
成功や幸せというのは、そういった日々の先にギフトとして待っているのだ。
だから苦しいけど努力し、頑張るしかない。
筆者は素朴に32歳まで迷うことなくそう信じていた。
でも、なんでこんなに辛いのだろうか・・
はるか昔のある休日、当時よく通ったカフェ「ベローチェ」にて、薄いコーヒーを飲みながら気付いた瞬間があった。
自分の苦しさの根っこにあるのが、「比較」「競争」そこからの「他者からの評価」だと。
試しに自分の内面で、他者からの評価や競うことや比べることをバッサリ捨ててみた。
で、こう思うことにした。
シンプルに「自分がどう生きるか」だけを根底にそえて生きてみよう。
短期的な勝ち負けとか、誰それより上だ下だとかどうでもいい。
四半期の評価とかもうどーでもいいので、どうぞご勝手に。
大事なのは自分がどう生きるか、オレはここに徹する、と。
さて、どうなったか。
人生はこんなに楽で楽しいものだったのかよ、オイ!
清々しい〜〜〜!!^^
(もっと早く誰か教えてよ)
面白いのは、自然と仕事の成果が上昇していったこと。
まぁ気持ちも顔つきも変わるし、へんな力みがすぅーと抜ける。
なぜかモテるようにもなった(笑)。
社内の評価を気にしなくなり、お客様にすべての気持ちを向けられる。
本来仕事とはそうあるべきだよなって思いながら。
しかし、企業組織の価値観とは正反対の場面が増え、居心地は悪くなった。
結果的に数年後にサラリーマンを卒業し、思いもよらなかった独立をして今に至る(笑)。
ある価値観を手放すことで、筆者は自然に自分を信じることができるようになった。
もちろん、本人が好きで「競う、比べる、頑張る」ことは構わない。本人の選択だから。
時にその価値観で生きてみる経験もあり。
しかし、筆者自身がそうだったように、悩みの本質が、もし他者との比較にあるのであれば、そっとアドバイスしたい。
そんなことにこだわらずに、淡々と自分がどう生きるかに徹していいんじゃないか、と。
「もっと努力しろ!」「頑張れ!」「あいつに負けるな!」
このフレーズを受けて胸に圧を感じて身体が苦しいのなら、一回手放してみてもいいと思う。
今とまったく違う方向性の生き方は、たしかにあるから。
冒頭の校長先生の文章に戻る。
・大人にはどんな事象においても肯定していく意味付け力が必要なのではないか。
簡単にいえば、自分や他人に◯をつけられるチカラ。
人生に1つの正解なんてない。
そもそも誰しも人生を1度しか経験していないのに、正しさが分かるわけがない。
とすれば、眉間にしわ寄せてそれが正しいかどうかを迷っているより、楽しいを選ぶようにした方が充実度は高まる。
「いつもあなたは最良、最高の選択をしている、それもすべてベストだよ^^」
そんな肯定的なものの見方をし、言葉をかけてあげられる大人でいたい。
まずは自分にそれを言ってみた。朝起きられず、惰眠を貪った週の始めだったけど。
校長先生、朝から素敵な視点をありがとう^^