磨くとは、◯◯すこと。
書く力や伝える力を「磨く」とはどういうことか?
今回はこの答えをズバリ出したいと思います。
そもそも、この磨くって一体何なのか?どういうこと?
実は曖昧なままの自分がいました。
書く力を”磨いて”いきましょう!!
なんて度々言っといてなんですが…^^;
特に自分の能力を磨くという文脈での「磨く」とは一体なにか?
私たちの身の回りにはこういった
わかったようで実はよくわからない(行動できない)言葉があふれています。
たとえば「育てる」とか代表的です。
部下を育てる、
リーダーを育てる、
幹部を育てる、
家庭では子供を育てる。
(ダンナを育てる、も?)
企業も家庭でも悩みの尽きない「育てる」ですが、ここでの大事な論点は、HOW TOではなく、WHATを明らかにしておくことにあります。
「コレってそもそもどういうことよ!?」って。
多くの企業組織における課題解決で欠けているのは、
言葉の定義付けが関係者間ですっぽ抜けていること、これが落とし穴なのです。
WHAT はなんとなくわかったつもりというかバラバラ、その上でHOW TOばかりをあーでもないこーでもないと追い求めてしまう。
これは情報爆発社会のひとつの弊害なのかもしれません。
そこに筆者がシンプル経営をすすめる理由があります。
またこの話は別の機会に。
さて、磨くに戻ります。
最近、ふと腑に落ちた定義があるのです。
「磨くとは、さらすこと」。
「さらす」とは、「醜態をさらす」とか「危険に身をさらす」など、どちらかと言えば悪い意味で使われることが多い言葉です。
しかし、筆者は思うのです。
自分を磨くという点からの「さらす経験」は、のちに必ずや自分にプラスに作用する、と。
書くのが上手くなりたいなら、
ただ独りよがりに書いていても上手にはなりません。
書いたものを誰かに「さらす」ことが必要です。
伝えることが上手になっていくには
誰かに「さらす」「さらされる」経験が欠かせないのです。
もちろん恥はかきますし、
時に手厳しいフィードバックをもらうこともあるでしょう。
自分としてはまだまだの段階でアウトプットしなければならないこともある。
もっと時間があれば、クオリティを上げられたのに、とか思います。
いまの自分を正当化したくなります。
でも、その時その時、限られた時間と能力で書いたことや伝えられることを「さらす」ことでしか得られない極上の気づきやヒントって必ずあるのです。
それらはどんなビジネス書にも載っていません。
書くことも伝えることもド下手だった筆者自身、仕事柄、強制的に日々さらされることで一つ一つの能力が磨かれてきたように思います。
「上達してから」人前にさらしていこうと、
いつまでもインプットしているだけでは意味がないのです。
芸人もド下手の時代から、舞台に上がりドンドン人前に出て行くことで芸が磨かれていくわけです。
”僕はまだ下手なので、うまくなったらM1の舞台に・・・”なんて言っている時点でその人はアウトなわけですよね。
仕事の場面でも、現段階でこうですとサッサと思考メモを見せられる人って素敵だなと思います。すぐさらして、修正を何度も重ねていく。
これが今の時代のパフォーマンスの出し方であり、成長につながる行動です。
書くこと、話すことを「さらした」場数こそ、
あなたの能力を「磨く」ことなんだということ。
自分をさらすと、磨きがかかってくる。
一時の恥を避けるのではなく、後々の大きな果実を想像してどんどんさらしていきましょう。
自戒を込めて、何度でも何度でも。
何事も修正すること前提でさっさと動いていく時代ですからね。
どうぞ明日からのご参考までに。
PS、
先日、あなたが勇気をもって人前で話した経験から気づけたことは何ですか?
こんど教えてくださいね^ ^。
では。