ひとりの世界を楽しめる人になれ。
子供の世界は想像以上に狭い
どうやらわが子が人間関係で悩んでいるらしい、のです。
・友達だと思ってた仲のよかった子からイヤなことを言われている。
・今日も仲間はずれにされた。
・パシリ?扱いされている。
どこまでが事実かはわかりませんが、どうやらほぼ事実のようで。。
最近自宅でもボヤくことが増えてきました。
成長する上で、欠かせない課題がやってきたのだと思います。
人間関係の悩みはほとんどの人が少なからず経験し、乗り越えてきていること。
大人になってもありますよね。
そんな大人の感覚で真っ先に口をついて出そうなNGワードがこれ。
「他の友達と遊べばいいじゃない。こどもは他にもたくさんいるんだから。」
筆者もつい言ったことがあります。
一見それっぽくて良さそうじゃないですか。
でも次の瞬間、「は?何言ってんのコイツ」という我が子の冷たい眼差しを感じました。
まったく刺さらないアドバイスだったのです。
たしかに子供の目線に立ってみればわかります。
子供にとっては幼稚園や小学校のクラスではなく、もっと言えばその中における3、4人の友達同士の間が「生きている世界」なのです。
だから、イヤなことを言われても健気に次の日その子のところに行ってなんとか仲間に入ろうとするのです。
こどもの世界は大人が思う想像以上に狭いのです。
今では笑えますが、筆者も小学生の頃、教室をふざけて走り回り、割と大きめの花瓶をラリアットで割ってしまったことがあります。
その瞬間「たぶん死刑だ。世界は終わった・・」と子供ながらに絶望の淵に立ったことがあります。当時は教室が世界の全てだったのですから。
だから大人の視野で、子供の世界の問題に対処するのは効果的ではないのだと経験から学びました。
ほんとうの友達ってなんだろうね?
今、こどもと話しているテーマがこれです。
友達の定義。
パシリ扱いする子、荒っぽい言動をする子、意地悪な子、もちろん優しい子もいる。
いろんなキャラの人が世の中にいて、世界は成り立っている。
それは大人になっても同じです。それが社会です。
誤解してほしくないのは、ほんとうは一緒にいたくないけど嫌われるのがイヤだから、無理して仲間になろうとしている状態。要はただ「つるむ」関係。
それは友達なのかなぁ、ということ。
さて、ほんとうの友達とはなんだろうか?
子供なりに考えているようです。
参考に太宰治の「走れメロス」をそっと手渡しましたが、今のところほぼ読んでくれません・・。やはり他人を思い通りにしようというココロは手放そう。。
我が子なりに「友達の定義」ができた時に、ほんとうの友達に自然に出会えるのではないかと思います。
それがいつになってもいいんだよ、焦らなくていいとアドバイスしています。
基本は「ひとりでいられる人間」になること
でも、仲間はずれにされたら悲しい、悔しい。
その「今」に処するにはどうしたらいいのか?
筆者はノートに大きめの字でこう書き、問いかけました。
「ひとりになったらなにをする?」
・本を読もう
・マンガを読もう
・音楽をきこう
・絵をかこう
・ブロックでなにかつくろう
・日記をかこう
・ボールでリフティングしよう
・壁におもいっきりシュートしよう
・パパとあそぼう←これはちがうか?
思ったよりたくさん出てきませんか。
ふつうはどう仲間に受け入れられるか、を考えがちかもしれません。しかし筆者は真逆の視点を提案します。
ひとりの時間をおもいっきり楽しんでしまえばいいんじゃないか、と。
それはなぜか?
ひとりで過ごす時間だけに存在する成長のエネルギーってあるのです。
それは子供だけでなく大人でも同じですよね。
筆者のケースですが、30歳の時に知り合いもいない大阪に転勤し、あまりに孤独すぎて本と映画が唯一の友達だった時期がありました。歴史上の人たち、特に宮本武蔵くん、坂本龍馬くんあたりは頭の中では大親友でしたよ。
友達も彼女もいなくて寂しかったけどその代わり空いている時間、膨大な勉強をすることができたのです。それはひとりだったからできた。
ひとりの時間にこそ人は成長エネルギーを充電しているのです。
スマホ充電中のように。
そして不思議ですが、ひとりで自分を磨いてきた人の周りには、時間差で面白い人との出会いが待っています。
ひとりで過ごす、ひとりで立ってみるのは、実はチャンスなのです。
仲間はずれ、OK!ありがとう!と思えばいい。
ひとりでも大丈夫。それどころかつるんでいては到底来ない成長チャンスの到来なのです。
親として子供には「ほんとうの友達」と出会える人になってほしいと思います。
だからこそ逆説的ですが、ひとりで立つことを基本にしてほしい。
いつか大人になったらわかるけど、つるんでいる人で立派な人を見たことがありません。すごいな、かっこいいなと感じる人って、みなひとり。「単独者」です。
つるもうと努力するのではなく、まずひとりになってみる。
そこから始めてみよう。
ひとりだってさびしくないぞ。