KOMA NOTE

”軽やかにシンプルに生きていく”考え方や実践をフリーランスの人材育成クリエイターがつづります。

そのひとりに、なる。

自分が信じている人からの、たった一言によって人は簡単に絶望することができる。

 

純粋な子供はなおさらだ。
大人であるぼくたちは、時々そのことを忘れている。

息子はサッカーが大好きで週4日も練習に参加している。
サッカーを通じて、たくさんの友達もできた。
学校はつまらないというが、サッカーには風邪気味でも平気で行く。

 

彼は1年前よりかなり上達した。
そして同時に、友達の多くは息子よりもはるかに上達している。

昨日、サッカーの試合(大会)があった。
息子のクラブチームは人数が多いので2チームに分かれた。
1軍と2軍。

彼は案の定、2軍だった。
3ゲームすべての試合、結果は今まで見たことのないくらいボロ負けだった。
高校野球の県予選でよくあるとんでもない点差のアレ。
途中から、見ているこちらが辛くなってきた。

このチーム編成をしたコーチも残酷だなと感じた。
2軍の子供たちもみるみる萎縮し、諦めている。

 

相手チームが軽くポンポンと蹴るとゴールの繰り返し。
ちょっとかわいそうだな、と最初は思ったが徐々に
「もうおまえサッカーなんてやめちまえ!」と心の中で叫んでいた。
「負けてるのにちんたら歩いてんじゃねぇ、やる気ああああんのかぁ!ゴラァ!」と。

 

手にしていたペットボトルは1/10ぐらいに潰れていた。
もう気分は、スクールウォーズの泣き虫先生だ。

ぼくはなまじサッカー経験者だけに、言いたくなる。
フィードバックしたいことが山ほど湧いてくる。
山のたいがいはネガティブなこと。


ふだんはそれらはぐっとこらえて、1つだけ絞って言うようにしている。
言えば言うほど本人が消化できないのと、結局詰めモードになるので、やる気と自信を削いでしまうから。

しかし、昨日はもうぜんぶ言ってやろうか、と正直思った。
やはり君にはサッカーは向いていない。

この不満や怒りをどこにぶつけようかと、スマホで、「子供」「サッカー」「やる気なし」と検索している自分がいた。ぼくは何をしたかったのだろう。

 

 

でも、最後のゲーム中にその怒りの眼差しは、静かに変わっていく。

 

よくよく彼をみていると・・・アレっ?
細い体で、いつもならぶつかるのを怖がってよけるのに、自分より大きな体の子に体当たりでボールを取りに行っている姿。点を取られたら、ダッシュでセンターサークルにボールをセットしている姿。足を引っ掛けられて転んでもすぐ起き上がって奪い返しに走っている姿。まだインステップキックが上手にできないため、インサイドキックで精一杯のコロコロシュートを打っている姿を。

彼の表情はそう、ムキになって親に歯向かうときの顔だ。
本気になっているのを初めて見た気がした。
別人のようだった。明らかに内面で何か変化が生じたに違いない。

 

人は、不器用だけど諦めていない人を見て、応援したくなる。感動するからだ。ぼくは気づけば応援していた。周りの親たちもいつのまにか声に出して同じように応援し始めていた。

 

そして、ぼくは内面で明らかに間違っていたことに気づいた。
親の役割は、子を他者と比較してアレコレ批評批判をすることではない。
思い通りにコントロールすることでも、ない。


どんな時でも、かれの可能性を信じることに尽きる。
世界中の誰よりも。それを伝えるのが親という存在価値だ。

 

人によって、生まれたタイミングも性格も体格も違う。当然、成長曲線だって異なるのだ。
その前提をぼくたちはしばしば見失ってアレコレ言い過ぎる。
親たちよ、結果だけ見て ”あっせっんなよ!” だ。

息子との帰り道、かれはずっと無言だった。
ようやく口にしたのが、「めっちゃくやしかった・・」という一言。


その言葉を聞くことができて嬉しかった。
試合結果はボロ負けだった。
しかし、プロセスには成長の兆しがしっかり見えた。

彼は大切な学びを手にできた。
最初はチーム分けが酷だと思ったが、この判断をしたコーチには意図があったのだろう。感謝したい。

 

ぼくは、彼に言った。
「パパは、最後のゲームの君の姿をみて確信した。ぜったいに上手くなれるよ。そう信じてる。きみならできる。」

 

今日から毎日言おうと思う。

 

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誰かたったひとり、自分を信じてくれる味方がいたら、人はどんな壁でも登っていけるのではないか。

そう思います。


ぼくはそのひとりです。