KOMA NOTE

”軽やかにシンプルに生きていく”考え方や実践をフリーランスの人材育成クリエイターがつづります。

「型」を見直してみる。

この夏、小2の長男に「集中しなさい」と何度言ってもまったく効きませんでした。
算数ドリルを目の前にして、まぁじっとしてられない。
親としてよくある素朴な悩みかもしれない。

 

最初は丁寧に、「ここ集中してみたら?」
それが次第に「集中しなさい」「いいか、いま集中だ!」「ゴラッ!集中しろって!ガッ〜!!」

ああ、いい大人がみっともない。。ぼくは馬を水辺に連れていくことすらできていない・・・。

ちょっと落ち着いて「これってなんでだろう?」と今更ながら考えてみた。
ぼくの言い方?性格?勉強への嫌悪?しつこく言ってる親への信頼感?
う〜む、どれもこれも当てはまりそうだ(笑)。


そんな中、ぼくはコンサル視点で言葉という観点からあることにふと気がついた。
もしかしたら息子は「集中する」ということが、”どういうことなのか?”じつは分かっていないのではないか、と。

 

人は動ける定義がされていないものは、動けないもの。
例えばよく職場で掲げられる「コミュニケーションの活性化」という表現。
ほとんどの人はいったい明日から何をしたらいいのかわからない。

 

息子に聞いてみた。


ぼく:集中するってどういうことだと思う?

息子:う〜ん、しゃべらないこと?

ぼく:たしかにね。(でも君は宿題を始めて30秒もすると、ぼーっと外を眺めているよね)

 

ぼく:ほかには?

 

息子:・・・サァ、わからん。なぁテレビ観ていい?

 

やはり。少なくとも彼は集中することがどういうことなのか曖昧だ。
再現性のある「集中するという型」をもっていないといえる。

大人でいえば、職場で上司から「きみ、もっと論理的に話してくれないか?」と言われても、どうやったら論理的だといえるのか、さっぱり分からないシーンに似ている。

 

子供も大人もまず「型」から入る。やはりそれが重要なのだ。
大人の成長をサポートする仕事をしていて痛感するのは、教育の場において、型という基本が意外と見落とされていること。すぐ手っ取り早いコツやノウハウに走りやすい社会的傾向を感じる。

でもね、何かを磨くには「型稽古」って大事なんだ。
仕事においてやり方は人それぞれ色々あるけど、共通の型なんてものは存在していない、そんな会社がほとんど。だから人の教育が進まない。フクザツで面倒くさい。
あなたの職場、仕事、どうですか?

 


「型があればシンプルになり、型があれば片付くよ。」
そうだったそうだった。お父さんは、パソナさんで月一でやっている「ロジカル脳・養成講座」で先週伝えてきたばかりじゃないか。週末ビール飲んですっかり忘れてたよ。

 


見渡せばあらゆるプロの世界とは、すべて型に始まり、型を繰り返す修練の世界。
たとえば歌舞伎の世界でいえば、中村勘三郎さんがこんな言葉を残しています。

型を知っていて壊すと、型破り。
型を知らずに壊すと、形無し。

 

至言ですね。

 

何事もまず型を決め、型から入る。
理屈は型を身につけた後でいいのかも。
型を決めたら、「この型通りにやりなさい」。シンプルですね。

 

話を冒頭にもどします。
我が家における「集中する型」とはどういうことにしたのか?

背筋を伸ばすこと。

という基本動作に置き換えてみました。

対こどもについては、精神系、思考系に行くよりも、パッと視覚的に分かるもの、身体的な動作といったものを型としていった方がいいような気がしています。

 

現在では「集中しよう」というと、ぴっと背筋をのばします。構えができるのはなんかいいみたいですよ。


あなたも、仕事や子育てにおいて困ったら、型、つまり基本を再考されてみてはどうでしょうか。行き詰まりが解消されていくきっかけになるかもしれませんよ。
もちろんぼくも相談にのります。

 

最後まで読んでくれてありがとうございました。