書を捨てて、芋を掘りに出かけよう。
秋晴れの日曜日、家族で芋掘りをしに出かけました。
田舎で育った僕には、土を触るという行為は日常にあった。しかし、都会で生まれた我が子たちにとっては、芋掘りは立派なイベント。
いいですね、自然に触れるのは。土のひんやりした感触や、土の中からミミズなどの生き物が登場してきたり・・。興奮気味に土を掘り返す。そして大きな芋が見えると丁寧に輪郭を出していき、大胆に取り出す。根がたくさんつながっていることへの驚き。
自然というのは、いつも優しい。何か人の営みにおけるシンプルな基本を教えてくれるような気がする。
食欲が行き過ぎると人はメタボになるように、書やPCにかじりつき、ノウハウや知恵を求めれば求めるほど、人は知識メタボになっていく。最近の僕がそうだった。
知識メタボの弊害のひとつとして、人間はあらゆることを「コントロールできる」という勘違いをもたらす。この勘違いはストレスの元。
例えば、この芋。
果たしてこの芋は、人が作った(生産した)のだろうか。違う。「なった」のだ。
「成長させる」のではなく、「成長する」んだよね。
子どもは「育てる」のではない、「育つ」んだよね。
これは僕のコンサルティングの領域である人材育成の忘れちゃならない前提。
この前提を置いた上で、はじめて僕が何を「する」のかが見えてくる。
穀物も、野菜も、家畜も、そして人間も。頭を引っ張って「大きくな〜れ!」といっても、決してそのとうりにはならない。
しかし、僕も含めて人の心は油断すると、すぐに他者をコントロールしたい、思い通りにできる「はず」という幻想を作り出す。とくに最近のビジネス書やネットとの付き合いには注意したい。
人を導く立場のあなたにも言えるかもしれない。
書を捨てて、今度土を掘りに出かけてみよう。
人を導く大切なキホンを、自然は優しく気づかせてくれるはずなので。