KOMA NOTE

”軽やかな自己実現”のための方法論をフリーランスの思考整理コンサルタントがつづります。

コツなんて人それぞれだから。

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週末、長女(4歳)が自転車に乗れるようになりました。
もう、筆者の腰ガタガタです(笑)。


先月の誕生日に欲しかった新しい自転車をプレゼントしたものの、練習もせずに放置していました。
ところがこの1週間、火がついたように練習をやり出し、週末で一気に乗れるようになったわけです。なにかきっかけがあったのでしょうか。

 

 

コツが簡単に手にしやすい世の中

筆者は3人の子育てをしながら、なんとなく分かってきたことがあります。
結論を言うと、「あまり教えなくていい」ってことです。

 

最近は何でもかんでもネット検索すると、あらゆるコツが手にできます。
なぜか?人々は手っ取り早く効率的に結果を出せる「コツ」を求めているからです。

 

しかし自戒しながら言うと、子育てや教育までコツでなんとかしたくなる、いやなるんじゃないかと勘違いしてしまうことがたまにあります。

《4歳児が1日で自転車が乗れるようになる5のコツ》なんて記事があれば即チェックしたくなりませんか?


一生懸命な親ほど、日夜スマホを手に情報収集しながら「こうすればいい、ああすればいい」と「教え魔」になるのかもしれません。


その一生懸命さは決して悪いことじゃないのですが。

 

 

教えすぎで失われるもの

ましてや筆者は企業コンサルタントとして、日頃いい歳の大人にアドバイスしたりしています。そのクセでつい家でも「こうすれば?」などと一言出てしまいます(そして妻に嫌われます)。

 

しかし、娘の自転車を崩れそうな中腰で押しながら、ふと思ったのです。

 


「コツって、とても個人的なものじゃないか」と。

 

 

例えば、自転車の乗り方をとってみても、目線の置き所、ハンドルをこうするとか、足を止めない、どんどん漕ぐんだとか、言うじゃないですか。
それぞれは情報として間違ってはいないのですが、長女にとって、その筋道や視点が必ずしも正解とは限りません。

ただ親が良かれと思ってやたら具体的に「だからペダルにこの角度で〜」とか熱心に言っているだけで、本人しか分からないタイミングやバランスってあると思うのです。
で、思い通りにならなくて勝手に親がイライラしている(筆者のことですが)。

 

コツを具体的に教えすぎる弊害は、本人にしかない体の使い方やバランスを探す(試行錯誤する)チカラがどこか行方不明になってしまうことです。

反省を込めて言いますが、大切なことは、相手が自分なりにコツを掴むまで、見守る、我慢する、急いで矯正しないなど、「適度な距離感」を持つことなのです。

「あ〜なるほど、わかった!」とコツを掴む体験こそ、その相手の人生にとって大切な学びになります。

 

 

コツとは、掴むもの

だから、何事もコツを具体的に教えすぎなくていい。
コツとは他者から安易に与える(与えられる)ものではなく、自分が試行錯誤の末に掴むものですよね。そう思います。

 

 

そういえば、ある週末朝のTV番組のスポーツコーナーでいろんなアスリートに「喝!」と入れてたまにネットを炎上させているかの大打者、張本勲氏が、どなたかに語ったといわれるあるアドバイスを思い出しました。

 

「張本さん、理想のバッティングフォームはどうしたらできるようになりますか?」

「1000回素振りしてみて。そのヘトヘトになって振ったときのフォームがあなたにとって理想のバッティングフォームだから。」

 

安易に上手くいく方法が世の中にあるかどうか分かりませんが、コツは自分なりに掴んでいくものというのは、たぶん本質なんだろうな、と思うエピソードです。