「大事なことから考える」を僕たちは忘れている。
例えば、こんな場面。
「あのぅ、今日のこの報告会、どんな目的をもって来られましたか?」
ある経営幹部全員が集まる場で、ぼくは一人一人の目を見ながら素朴に質問していく。
「えっ、情報共有でしょ?」
「私は駒込さんの見解を聞いて、人材育成のあり方をむにゃむにゃ・・」
「正直目的って、う〜んないなワッハッハ。」
おいおい。人によっては、目的というだけで嫌な顔をされることも(これはよくある)
「では、目的をすり合わせてから報告を始めたいのですが・・・」とぼく。
以上は、ファシリテーションのひとつの実態(イメージ)です。
ちなみに、あなたの会社の会議は大丈夫?
振り返れば、僕たちは「目的」について、学校で学んできていない。
だから、大人になり目的って大事だと頭ではわかっているけど、どこかめんどくさい。社会に出てからも、なくたって特に困らなかったから。
スローガンのような抽象的な言葉でお茶を濁す。
わかったつもり、ふりでいる。いいじゃん、それで。
ダメです。
ズバリ、いま多くの組織の「本当の問題」はここにある。
みんなが目的から逃げてしまうのだ。だから実は本当の的が誰もよくわからない。
だから、決められない。捨てられない。仕事がますます複雑になるばかり。
そんな状態で、更なるなにか良い方法ってないですか?
前回の研修を超えるインパクトのあるものを、なんて求められる。
より良い「方法」を求める前に、どんな「目的・前提」なのか?
この1点を明確にしようよ。
限られたリソースで生きる小企業しかり、ぼくのような自営業の道はそこにあり。
今の世の中、平凡な僕らは強烈に取捨選択をやっていかないと何も得られない。
「大事なことは、何か?」
仕事において、僕は相手とこの問いをしつこく一緒に考え決める。
大事なことを明らかにせずして、最適な方法など考えられるはずもない。
どんな前提や目的でも、機能する「絶対に正しい方法」などないのだ。
逆に大事=重みづけが変われば、方法の評価も変わる、わけだよね。
なにやら当たり前のように聞こえるかもしれないが、
ぼくらはこの「大事なことから考える」を、無意識に避けていないだろうか。
仕事だけではなく、子育てにおいても、旅行でも、買い物でも同じ。
「大事なことはなんだろう?」
迷った時には、この問いを本心で考えてみよう。
そして、その”大事なこと”をちゃんと関わる人と共有しよう。
シンプルに道が見えてくるよ。
正直ハイレベルな内容だけど、今の時代に大切なことが書かれています。ぼくは間を置いて何度か読み返しています。
「イシュー」=「大事なこと」と置き換えた時にようやくしっくりきました。