肯定しよう。
肯定には自分も他人もプラスに動くチカラがある。
肯定すると、知恵が生まれる。
肯定すると、人としての器が広がる。
最近暮らしの中で、ふと気づくと言葉にするしないに関わらず、なにかと否定していることが多かった。誰かから否定ばかりされたらパワー失うよね。否定している本人にもそれは跳ね返ってくる。
反省の意味も込めて、肯定すべきポイントについて改めて書いておこう。
①文章
例えば「飲食厳禁」より「飲食は外のロビーにてお願いします」の方が、素直に応じやすい。
「〜はダメ」「〜するな」と書かれるよりも、「〜しよう」という読み手が心地よくなる文章を綴ろう。
コンサルレポートから日頃のちょっとしたメールもすべて「肯定文」で。(もちろんこの地味ブログも)
②対話は「YES AND」が基本。
「そうですね(受容)、さらに〜」と相手のアイデアを否定することなく、つなげていくこと。何事でも可能性を広げられる相手になること。「そうですね、でもね・・・」と可能性を閉じるオッサンになっていないだろうか。それは”つまらない奴”として認知されるだろう。自分のミジンコのような狭い価値基準でものごとを判断しないようにしたい。
③人への眼差し
僕が教育者の端くれとしての経験から思う教育の考え方にはざっくり2種類ある。
1つは相手を「育てよう」という眼差し。育てなければならないほど「足りない」「未熟な」「変えるべき」ものという前提。正解はこちらにあり、相手の間違いを正すことに焦点があてられる。
もうひとつは、相手を「活かす」という眼差し。相手がすでによきものであるということが前提。相手の良い点を最大限に活かすには、何をサポートしたらいいのか、を模索する。
もちろんどちらもありなんだが、僕のコンサルティングスタンスは後者である。この成熟社会においてもはや正解は1つなんてありえないから。子育てにおいても、ビジネスシーンでも。
「それでいいのだ」といえる人は、やはりカッコいい。
肯定から始めよう。それが基本。