僕は(私は)はたらいているのだろうか。
給料が安いとか、(正当な)評価をされていないと嘆くあなたへ。
息子3歳の時のある朝、素朴に聞かれた。「パパ、おしごとってなーに?」
子どもというのは時々、親を試すような問いを投げかけてくる。
瞬間頭の中に浮かんだことは、「お前たちを食べさせること」「お金を稼ぐこと」・・・でも、次の瞬間思った。
なんか、違う。どれもこれもどこか薄っぺらい。
たぶん通じないだろうし、わが子には父として何か本質的な答えを手渡したい。
いったいなんだ、しごとって。
あなたなら、なんて答えるだろうか?
考えた末その日の夜に、僕は息子にこう答えた。
「しごとってね、こまっているひとをたすけることだよ。」
だから、パパはもしも今日1日の中でこまっている人をだれも助けられなかったら、おしごとをしたことにならないんだ。こまっている人が笑顔になって「ありがとう」と言われたら、パパはおしごとをしたことになるんだよ。そしてたくさんの人を笑顔にしていくと、あとからね、「おかね」というかたちになってかえって来るんだよ。
「うわー、ぼくもはやく”おしごと”したい!」
だったら、ようち園でだれかこまっている子がいたら、たすけてあげて。
それがおしごとのはじまり!
今でもこの定義を基本に、僕は仕事や働くということを捉えている。
そもそも仕事の語源は、事(こと)に仕(つか)えること。
働くの語源は、傍(はた)を楽(らく)すること。
つまり、どちらもお金を稼ぐとか、高い報酬をもらうなんて意味は含まれていない。
本質的な意味は、「誰かの何かのお困りごとの解消にお役に立つこと」なのだ。
この意味に照らして、あなたの現状を率直に伝えるならば、
まだまだ、あなたは役に立っていないのだ。
ただ指示されたことをやるのは仕事とは言わずに、世の中は「作業」と呼ぶ。
作業は誰でもできることが多いから、賃金も低い。いずれその多くがAIやロボットに置き換えられていくだろう。
仕事とは、自ら見つけ、創り出していくこと。
この違いを明確に分けられるようになろう。
ちょっと言ってること、厳しいですか?
世の中はシンプルだ。
たくさんの人が喜んでいるかどうか、と収入は比例している。
一流のハリウッドスターやプロ野球の選手が桁違いの収入を得ているのはなぜか。大勢の人が求めている映画や試合に出ることで、世界中の何百万人もの人を喜ばせているから。
もらうことばかり考えて不平不満にするよりも、まずはどうしたら目の前の人のお役に立てられるだろうか、喜ばれるだろうか、その一点に集中して毎日仕事に取り組んでみてはどうか。
『今日の僕は(私は)はたらいているのだろうか?』
この問いに毎日向き合う。
それだけでいいと僕は思う。