笑わないという思いやり。
こんにちは、駒込浩明です。
夕食中に5歳の長男がボソッと語り出した。通っている幼稚園でのある出来事。
長男と同じ班のある女の子が教室のなかでう⚪️ちを漏らしてしまった。教室にただよう独特の匂いに、子供たちはざわめきだした。先生も、したひとは〜?って非情にもオープンに問いかけた。
同じ班だった息子は知っていた。
⚪️⚪️ちゃんだと。でも黙っていた。
というか迷っていた。先生に言うべきかと。
ざわつく中、その子は先生に自ら告げた、私だと。その途端、教室中はさらにヒートアップ。まあまあ子供らしい悪気ないけど傷つくようなセリフがその子めがけてたくさん飛んできた。
さて息子は渦中、どうしていたか?
ずっと黙っていた。
みんなと一緒に笑わなかった。
話のニュアンスから、本当はなんとかその子を助けたかったのだろう。
でも5歳の男の子にその知恵はなかった。
だから唯一できることとして、彼は黙った。
その話を聞いて、私は嬉しかった。
失敗したその子を笑い者にする周りの空気に同調しなかったことに。
そして、果たして大人の私は当たり前のようにできているのだろうか、と少しザワっとした胸の内を省みた。
もしかしたら人の失敗に、ついその場のノリで、揶揄する余計な一言を、言ってしまっているかもしれない。
言ったことすら次の瞬間忘れているかもしれない。だったら最低だ。
息子は食べ物の好き嫌いはたくさんあるし、たまにまだおねしょだってする(本人はしていないと言い張るが)。まだまだ甘えん坊で怖がりで泣き虫だ。最近は何かと親から叱られてばかり。
しかし、「人の失敗を笑わない」という
思いやりを示した。
安易に周囲に迎合することなく、自分なりに考えて行動する、たとえそのコミュニティーの中でマイノリティだったとしても。
翻って大人のお前は日頃どーなんだ?と突き付けられた気がした。
幼稚園の中で起きていることは、決して子供たちだけの話ではない。大人の世界でいう企業組織、いやもっと言えば日本社会の縮図、転写した姿と考えるべきかもしれない。
う⚪️ちをもらしてしまった相手を、あなたは大声あげてあざけり笑い、叩くだろうか?それとも…
エキスポシティにある噴水に自ら飛び込みパンツまでビショビショに。自分をゲラゲラ笑っていた。そこは一緒に大笑いした。