「君の名は」を観て思ったこと。
映画を平日の午前中から妻と観ること。ささやかだが、贅沢な時間だ。
僕は世の中で大ヒットしているものにはなるべく先入観なしで触れるようにしている。
そこに時代の感性が潜んでいるから。時代の感性や流れを掴んでおくことは、個人商店の僕にとっては極めて大事な仕事のひとつなのです。
先日「君の名は」を観た。
ちなみにこのタイトルがもしも「お前、誰?」だったら全くヒットしていないだろう。
言葉ひとつで流れは変わるものだ。
この映画、一言で「面白かった」。ここでストーリーには触れないが、絵の綺麗さ、流れる曲がよかった。アニメといえば有名なジブリ作品は観るものの、こんなに進化しているのか、と驚いた。
なぜか分からないが、時間を置いてもう一度観たい(=考えたい)と思わせる”何か”があった。
その何かとは。つらつら頭に浮かんだことをメモしておきたい。
僕の仕事の領域だが今の時代、「考える力」を向上したいと多くの人は願う。
コンサルティングの場でも「思考力」はいつも話題に上がる。
そして大抵、次の瞬間その話題はノウハウや方法論になる。
まだノウハウが欲しいのか、と若干うんざりする気持ちを押さえながら、僕はこんな視点を提供したりする。
そもそも人がものを考えるのは、そこに解決したい問題があるから。
「何か」変えたい現実があるからだ。
そして現実を変えることによって、その先にいる誰かが幸せになるからだと思う。
つまり、考えることの根っこにある動機とは、
”あの人を幸せにしたい”
”この子を喜ばせたい”
ということなのだと思う。
その先にいる大切な「誰か」のために、という気持ちが思考に勢いをつける。
いくら考え方が論理的なものであっても、「誰か」を思う気持ちがそこに含まれているのかどうかが大切なのだ。
現実に誰かが切実に悩んでいる、困っている。それを「どうしてあげたらいいんだろうか」となったときに、人は初めて切羽詰まりながら真剣にものを考えるのだ。
その体験の数がほんとうに使える思考力につながるんだと思う。
思考スキルやノウハウの知識を得ただけでは使い物にならない理由がここにある。
いつも誰かの幸せを考えること。
当たり前のようだが、これが物事を考える際の基本の態度であり出発点だ。
あなたの幸せにしたい「誰か」とは?
ここをしっかり決めること。これ抜きでなんとかスキルを駆使しても無力なのだ。
あらゆる情報が手のひらですぐ取れてしまう今だからこそ、忘れてはならないことだと思う。「誰か」は、人に聞いてもsiriに聞いても教えてくれません。
自分に何度も聞かないと見えこない。
時間や空間を超えてヒトを想うこと。
「君の名は」を観ながらこれを感じた方は多かったのではないだろうか。
これが本作品のテーマかどうかはわかりませんが。
そういえば、ビジネスの出発点も全く同じである。
先に挙げた僕の心に浮かんだ「何か」とはそんなことです。
難波の黒門市場にあります。
誰かを幸せにし続けてきた洋食屋さん。特にカツサンドは本当に美味しいのです。