KOMA NOTE

”軽やかにシンプルに生きていく”考え方や実践をフリーランスの人材育成クリエイターがつづります。

ひとりの世界を楽しめる人になれ。

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子供の世界は想像以上に狭い

どうやらわが子が人間関係で悩んでいるらしい、のです。

 

・友達だと思ってた仲のよかった子からイヤなことを言われている。
・今日も仲間はずれにされた。
・パシリ?扱いされている。


どこまでが事実かはわかりませんが、どうやらほぼ事実のようで。。
最近自宅でもボヤくことが増えてきました。

 

成長する上で、欠かせない課題がやってきたのだと思います。


人間関係の悩みはほとんどの人が少なからず経験し、乗り越えてきていること。
大人になってもありますよね。

 

そんな大人の感覚で真っ先に口をついて出そうなNGワードがこれ。

 

「他の友達と遊べばいいじゃない。こどもは他にもたくさんいるんだから。」

 

筆者もつい言ったことがあります。

一見それっぽくて良さそうじゃないですか。
でも次の瞬間、「は?何言ってんのコイツ」という我が子の冷たい眼差しを感じました。

まったく刺さらないアドバイスだったのです。

 


たしかに子供の目線に立ってみればわかります。
子供にとっては幼稚園や小学校のクラスではなく、もっと言えばその中における3、4人の友達同士の間が「生きている世界」なのです。
だから、イヤなことを言われても健気に次の日その子のところに行ってなんとか仲間に入ろうとするのです。

 

こどもの世界は大人が思う想像以上に狭いのです。


今では笑えますが、筆者も小学生の頃、教室をふざけて走り回り、割と大きめの花瓶をラリアットで割ってしまったことがあります。
その瞬間「たぶん死刑だ。世界は終わった・・」と子供ながらに絶望の淵に立ったことがあります。当時は教室が世界の全てだったのですから。

 

だから大人の視野で、子供の世界の問題に対処するのは効果的ではないのだと経験から学びました。

 

 

ほんとうの友達ってなんだろうね?

今、こどもと話しているテーマがこれです。

友達の定義。

パシリ扱いする子、荒っぽい言動をする子、意地悪な子、もちろん優しい子もいる。
いろんなキャラの人が世の中にいて、世界は成り立っている。
それは大人になっても同じです。それが社会です。

誤解してほしくないのは、ほんとうは一緒にいたくないけど嫌われるのがイヤだから、無理して仲間になろうとしている状態。要はただ「つるむ」関係。
それは友達なのかなぁ、ということ。

さて、ほんとうの友達とはなんだろうか?
子供なりに考えているようです。
参考に太宰治の「走れメロス」をそっと手渡しましたが、今のところほぼ読んでくれません・・。やはり他人を思い通りにしようというココロは手放そう。。

 

我が子なりに「友達の定義」ができた時に、ほんとうの友達に自然に出会えるのではないかと思います。
それがいつになってもいいんだよ、焦らなくていいとアドバイスしています。

 

 

基本は「ひとりでいられる人間」になること

でも、仲間はずれにされたら悲しい、悔しい。
その「今」に処するにはどうしたらいいのか?

 

筆者はノートに大きめの字でこう書き、問いかけました。


「ひとりになったらなにをする?」

 

・本を読もう

・マンガを読もう

・音楽をきこう

・絵をかこう

・ブロックでなにかつくろう

・日記をかこう

・ボールでリフティングしよう

・壁におもいっきりシュートしよう

・パパとあそぼう←これはちがうか?

 

思ったよりたくさん出てきませんか。
ふつうはどう仲間に受け入れられるか、を考えがちかもしれません。しかし筆者は真逆の視点を提案します。


ひとりの時間をおもいっきり楽しんでしまえばいいんじゃないかと。


それはなぜか?
ひとりで過ごす時間だけに存在する成長のエネルギーってあるのです。
それは子供だけでなく大人でも同じですよね。

 

筆者のケースですが、30歳の時に知り合いもいない大阪に転勤し、あまりに孤独すぎて本と映画が唯一の友達だった時期がありました。歴史上の人たち、特に宮本武蔵くん、坂本龍馬くんあたりは頭の中では大親友でしたよ。


友達も彼女もいなくて寂しかったけどその代わり空いている時間、膨大な勉強をすることができたのです。それはひとりだったからできた

 

ひとりの時間にこそ人は成長エネルギーを充電しているのです。
スマホ充電中のように。

そして不思議ですが、ひとりで自分を磨いてきた人の周りには、時間差で面白い人との出会いが待っています。

 

ひとりで過ごす、ひとりで立ってみるのは、実はチャンスなのです。
仲間はずれ、OK!ありがとう!と思えばいい。
ひとりでも大丈夫。それどころかつるんでいては到底来ない成長チャンスの到来なのです。

 

親として子供には「ほんとうの友達」と出会える人になってほしいと思います。
だからこそ逆説的ですが、ひとりで立つことを基本にしてほしい。

 

いつか大人になったらわかるけど、つるんでいる人で立派な人を見たことがありません。すごいな、かっこいいなと感じる人って、みなひとり。「単独者」です。


つるもうと努力するのではなく、まずひとりになってみる。
そこから始めてみよう。

ひとりだってさびしくないぞ。

 

 

 

 

生き方を自分の頭で考え、決めていく社会。

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筆者は四六時中、仕事のことを考えている零細自営業者です。
仕事をあれこれ考えるのが楽しくてしかたがない!

 

最近は、講座案内の文章をあーでもないこーでもないと練っています。
(こういう時間がたまらなく楽しいのです)

 

それだけに、昨今のニュースを見ているとふと感じることがあります。

 

時流に逆らうことを承知で(誤解されるかもしれないけど)言いますと、

「目一杯働きたいのに、それができない方々」への同情です。

 

働き方改革の法案がまもなく施行され、働く環境の変化はもちろん喜ばしいことだと思います。決して世の流れを全否定したいわけではありません。


その上で、今も昔も仕事が好きで好きでいくらでもやりたい方も実在するわけです。


その方が法の規制や所属する職場の制約によって、その仕事を泣く泣く中断しなければならない姿を思うと、「かわいそうだな・・・」と想像してしまいます。

 

もちろん、みんながみんなそうである必要もないし、「べき論」を振りかざしたいわけではありません。あくまで本人の選択であり、筆者はそれを尊重する立場です。
環境に合わせて自分を最大限に活かしていけばよいと思います。

 

でもね。
自分のことを振り返ると、人ってある一定期間文字どうり寝食を忘れてガムシャラに仕事に向き合うことで、本当に大切なことを学び掴む時期ってありますよね。


もう二度と戻りたくない地獄のような時期だったけど、でもあの時期をやり抜いたバカみたいな自分がいたから、今、食べていける。


それが揺るぎない自信につながっている。
そういう濃密な時間って人生で必要なんじゃないか、とも思います。

 

その濃密さって一言で「量」なんですよね。

「ハぁ?効率?10年早いわ!」って言われてきた世代なので古臭いのでしょうか。
効率というスマートさの対極に位置するようなどろくさい時空間での経験。

 

その量をこなすことなく、果たして世界と渡り合っていけるのだろうかと頭をよぎります。筆者の知る東南アジアの若者たちは、以前の日本社会にあったガムシャラさで仕事に没頭しているわけです。比べるまでもなく、競ったら即負ける気がします。

 

もしかしたら数年後、上司は普通に外国人になっているかもしれませんね。

 

そう考えると、働き方改革というフレーズが登場する以前に大量の無駄な時間、いや仕事に没頭する時間を持てた筆者は、つくづくよかったと思うわけです。

 

ましてや現在の筆者は、自営業者です。
自分のやりたいこととできることが、お客さんのお役に立てるポジションで価値提供できるのは最高に幸せだと、つくづく感じます。

 

お役に立てるアイデアの創造と行動にのみ、エネルギーを注げる日々。
働きたいだけ働ける。
もはや感謝しかありません。

 

できることなら、24時間365日仕事したい。
現実は子育ても大切な仕事なので、両立させていますが。

 

 

以上はあくまで、筆者の個人的な経験と生き方の解釈に過ぎません。

 


仕事以外で喜びや生きがいを見出す人もいるでしょうし、筆者のように仕事に没頭して本当の楽しさややりがいに気づける人もいるでしょう。

 

どちらが良い悪いではなく、どちらの価値観でも笑顔で生きていける世の中になるといいなぁという話です。

 

そういう意味では、筆者のようにサラリーマンを辞めて、起業したり、自営業者になるという生き方の選択は、今後ますます身近で当たり前になってくるのかもしれません。

 

 

「生き方を自分の頭で考え、決めていく」

それがより求められる社会になってくるのでしょう。

 

情報とは目的を叶えるために使うもの。

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溜め込みはムダ

 

「いつか要る時のために」と某ニュースアプリの便利さからevernoteに興味のある情報やニュースを習慣として溜め込んでいましたが、結局読まれることはほぼなく、溜め込むことからすっぱり足を洗いました。ニュースアプリは削除しました。

 

 

認めます。単に無駄でした。。

 

 

今の時代、「食」だけでなく「情報」すぐ過多になりがちですよね。


過多になるとこうなります。

 

•何をすればいいかわからなくなったり、

•すぐに答えが見つからないことにイライラしたり、

•何を見ても感動しなくなったり、など。

 

もしあなたも思い当たる節があれば、情報のメタボ状態なのかもしれません。

 

ちなみにニュースアプリは便利で見てて楽しいものです。特に若い世代からビジネス書は読まないけどスマホで結構見てるよ、なんて話は多々聞きます。あっというまに時間が経ちますよね。
ちょっとした暇があれば見るという習慣になっている方、多そうですね。


しかし、それがその人の望む「結果」にどれだけつながっているのかは正直疑わしいと言わざるを得ません。情報に大量に触れてはいるけど、特に何も行動は変わることなく、単なる暇つぶしで終わっていないでしょうか。(自戒を込めて)

あなたはどうでしょう?

 

 

「情報」が悪いわけでも、「アプリ」が悪いわけでもありません

 

もちろん。

要はここが筆者のメッセージなのですが、


結局、”あなたにどんな目的があるのか”、なのです。

 

情報メタボになる原因は、決してアプリのせいではなく、目的意識というフィルターなしで情報にひたすらふれているからなのです。


自らにはっきりした目的があれば、情報を捨てられます。
むしろ、自然と余計な情報が入ってこなくなるでしょう。

 

昔、筆者が30歳前後の頃、某ビジネス系雑誌を数種類も定期購読していました。
残念なことに振りかえれば何の結果にもつながりませんでした。
結構熱心に参考にしていたのですが。


たいていコンテンツは決まっていて、「成功者の読書術」とか「スキマ時間の活用で成功する」とか「ロジカルシンキング」といった内容です。
(今でも時々書店で見かけますが、当時とさほど代わり映えしない表紙を眺めます)

 

 

なぜ筆者は結果につながらなかったのか、といえばもうおわかりですよね。
そこで語られる内容や、アレコレ披露されるノウハウというのは、前提としてすでに自分の目的が明確な人が参考にするべき情報だったのです。

 


目的意識(ゴール)なき術(ノウハウ)ほど、空回りの原因となるもの。

 

 

 

「目的意識」があなたのスタートポイントになることを再認識しよう

 

ほんとうの目的を明確にして、情報を取捨選択できるフィルターを自身にもちましょう。
でないと、私たちの人生はひたすら情報の大洪水で溺れかねません。

 

んなこた言われなくても、わかっとるワイ!なのかもしれません。

 

しかし、あなたは目的を明確にできていますか?
たぶん、即答できる人は少ないと思います。

 

なぜか?

目標と違って、目的は自分で見つけ、磨いていくものだからです。そして何よりも、本当の目的が見つかるには人によりますが相応の努力と粘りが必要だからです。

 

あなた自身の奥底から湧きあがる目的に出会うまでには、それなりの時間とエネルギーを注がねばなりません。


それに耐え切れず、筆者のように安易に華やかなノウハウや他人のなんとか術に答えを求め出すと、みるみる情報デブになります。


そしてトンチンカンなことばかりをする人生になります(笑)。

以前の筆者がそれでしたから。

 

あなた自身の持ち味が生きる素晴らしい目的に出会えるといいですね。

 

誰にでもほんとうの目的は必ずあります。つくれます。
明確に言語化されていないだけで、すでに自分の足元に出ている場合も多いものです。

 

人生の限られた時間は目的を叶えるために使いたいもの。

情報だってそう。

情報とは、あなたの目的を叶えるために使うのです。

 

今回は情報と目的について書きました。
大切なある一人のために。

 

有意義な人生を送る上で、「目的意識」という最高のフィルターを用いましょう。


どうかあなたのビジネスに好循環が生まれてきますように。

 

 

 

う、をあたえよう。

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ふと、【有(う)を与える】という禅の言葉を思い出しました。

 

 

我が子が、友達からパシリにされている。

「こうすればいい」

 

保育園に行きたくない!だってたのしくないもん!

「こうすればいい」

 

将来が不安で眠れない。

「ならこうすればいい」

 

昔からコンプレックスがいつも行動を邪魔する。

「ならこうすればいい」

 

 

日常は困りごとのオンパレード。
どうすればいいの、だらけ。
そして「こうすればいいよ」と他人もAIも即回答してしまう時代。

 

でもなんとなく情報を手にしたところで、その困りごとはなかなか消えないもの。

いつから世の中は「解決あせり社会」になったのだろうか。

 


言葉を選ばずに言えば、なんだかチープな教え魔がたくさんいる社会になっているように思います。

筆者もなまじコンサルタントとして生きています。
だから困りごとを聞くと悪気なくパン!と解決アドバイスをしてしまいがち、でした。それが価値、だと思っていたから。

 

 

最近、その解決モードの自分を手放しています。

 

 

すぐ解決っぽいことを言うのってどこか薄っぺらい(笑)。
コンサルタントが多用する「問題解決」って言葉に正直、心が踊らない。


なんかするのもされるのも息苦しくならないですか?
(これは筆者だけの感覚でしょうか・・)

 

 

その理由を考えてみました。

 

たぶん、正論だから。

正論って息苦しいのです。


だから、困りごとに、すぐ解決モードにならないようにしています。


スマホで調べたり、他人の知恵をすぐ借りない。

 


解決モードではなく、その困りごとに対して「有を与え」てみるのです。

 

悩み、困りごと、問題、嫌な奴、こどものおねしょ・・・すべてに、
「ああ、そうなんだ。(マル)」としてあげる。
その困りごとくん。そこに居ていいよ、としてあげるという考え方です。

 

うん、困った。
ああ、それでいいのだ。

そう思えるように生きる。

ラクで楽しいような気がするのです。

 

「困りごと→よっしゃ解決したろ!(せねば)」

 

この単純な結びつきではなく、

 

「困りごと→ 有を与える(いいよ、それで。マル) → → → あれ、なんだっけ、わすれた、まっいいか」

 

 

この感覚で最近はクライアントにも家族にも接しています。
解決という言葉すら捨てて。

 

今のところ、困ったことはひとつも起きていません。

 

「これでいいのだ。」
本当の天才はバカボンよりも、有を与えていたバカボンのパパだったのかもしれないですね。

 

どうぞご参考までに。

 

 

 

 

 

 

 

予祝とメモの相性は抜群です。

筆者は月に1回大阪市内で「かみいちまいカフェ」というゆる〜いワークショップを主宰しています。本業の法人企業での研修とは違うモードで。

 

「メモで思考整理できる人を増やしたい」という思いからエントリー的な機会を個人向けに提供するのが目的です。昨日はそのカフェの日でした。

 

 

テーマは、予祝の一枚を書こう」

ご参加された皆さん、ありがとうございました。
筆者が一番楽しんだと思います。感謝。

 

 

***

予祝ってご存知でしょうか。

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 予(あらかじめ)、祝う(いわう)。
一言で、喜びやありがとうを先取りすることです。

 

普通は、良いことがあって次に喜びますよね。悪いことがあれば当然喜ばない。
ところが予祝は、良いことが何も起こらなくても、先にもう喜んでしまうのです。

 

いいんです、これが。
筆者は、北川八郎さんより数年前「予祝」という言葉を初めて聞きました。

(この方の書籍、何十回と繰り返し目を通しています。)

繁栄の法則

繁栄の法則

 

 

特にどん底にいるときほど、有り金をはたいて酒を買い、みんなでよりよき未来を先に祝う。嫌なこと、落ち込むことがあったら、内ではなく外に向かうことが大事。過去を見つめない潔さが、よき未来を受け入れる心(覚悟)をつくっていく。


驚くのはこれがなんと、古来日本人がやってきた習慣なのです。


花見。これは秋の豊かな収穫を予祝したイベントでした。
盆踊り。これも秋の収穫を喜ぶ予祝だったというのです。

 


「夢が叶ったらいいな〜」じゃないんですね。
「夢?はい、今叶った。カンパーイ!」とやっていた私たちの先祖。
スーパーポジティブ。まさに、和の引き寄せ法則をもっていたのです。

 

 

この予祝をさらに広めたのが、この書籍でしょう。 
ぜひ一読してほしい素晴らしい一冊です。元気が出ます。

前祝いの法則

前祝いの法則

 

 

 

***

予祝とメモの相性は抜群

筆者の場合、至る所で暮らしや仕事に「メモを活かす」ことを提唱しています。
予祝だけでもすんごいパワフルだと思いますが、1点難点があります。

 

 

「ふわ〜っと忘れていく。」

 

 

だったらメモに残せて、いつでも予祝感覚を取り戻せるとしたらよくないですか?
そう感じて昨日やったのが、「予祝の一枚を書こう」でした。

 

筆者はコンサルタントです。
感性全開で予祝をするモードだけで終わるのではなく、ロジカルに言語化、優先順位化していくモードも同じ紙の上で展開できる型を開発しました。
極めてシンプルなので、誰でも時間をかけずにできてしまいます。

 


はやり手を動かして書いていくのは効果的です。
言語に置き換えると、頭のなかに映像が浮かび、より臨場感が増してきます。
この臨場感が予祝には大事な要素だと思います。

 

 

メモは他者にも共有しやすいので、自然と応援が生まれます。
一人でやってもいいけど、複数でやればやはり盛り上がります。

 


上記で紹介した「前祝いの法則」の中で提案していましたが、全国の小学校の必須科目に入れたら良いと筆者も思います。


国語、算数、理科、予祝。(笑)

 

日本の子供たちの可能性を大きく飛躍させるはずです。

 

 

***

心のあり方が、先。

 

予祝とは言い換えると、「心」の選択です。


どんな心を選び、どんな心を捨てるのか?
「よし、喜びの心を選ぶ」。

では、次にその心はどんな行動を選択するのか?
「よし、やってみよう!」と自然となる。

 

結局心のあり方が先だぜ、とご先祖様たちは知っていたんですね。

 

「あ〜享保5年。ことしは人生過去最高の1年だった。」


こんなふうに言っていたのかもしれません。
しみじみと口に出しながらガッツポーズをしていたのかもしれません。

 

 

よかったらあなたも試してみてはいかがでしょうか。

「2019年、過去最高の1年だった・・」


何が叶ったのか、うれしかったのか、感動したのでしょうか。
ぜひノートに書き出してみてくださいね。


Let'予祝メモ‼︎

 

 

PS、

池江選手のニュースには驚きと共に、ショックでした。
彼女の精神力と現代医療の力を信じましょう。

 

 

あなたの原点の地はどこですか?

新大阪発から始発の新幹線に乗り、原点の地を訪れました。
数えると10年ぶりです。

 

 

東京の渋谷駅からひと駅のところにある大橋会館というなかなかレトロな建物。
10年ぶりの会館は、当時よりも人が多く賑わっていました。
 

 

ちなみにここで言う原点の地とは、生まれ育った故郷のことではなく、人生の大ターニングポイントになった場所という意味です。

 

 

10年前にここで開催された講座、出会った講師、仲間をきっかけにして筆者はサラリーマンから自営業への転身を図りました。

 

 

その時の講座テーマが「メモ」でした。
思考や行動がたった1枚の紙で変わる、メモの取り方、活かし方。
筆者は当時30代半ば。知的革命が起きた瞬間でした。

 

 

なんか人生は、一つのきっかけでポン、と変わりますよね。
メモというたった二文字ですよ。
この可能性に惹かれた筆者は、日々メモ力を鍛えることに精進し始め、
現在ではメモ力を切り口にした個人や組織のコンサルティングをすることに。

 

 

ではなぜ、筆者は10年ぶりにそこへ向かったのか?
人生のターニングポイントだったその場所で、再びメモをテーマにした講座があったからです。が、これからの10年に向けた筆者のビジネスが向かう先への覚悟を掴みに行ったというのが深いところの本音でしょうか。

 

 

改めて感じたことは、
手で紙に書いて、思考を走らせ、行動を起こす。
これは人間である限り、普遍。

そしてこのシンプルな武器をもっと磨くことで、筆者自身がそうなったように、人は自分らしい人生、自分に嘘をつかない人生を切り開くことができるという確信です。

 

2019年はメモという武器の磨き方、活かし方、そして手渡し方をさらに工夫しようと強く思いました。

 

原点の地に行ってよかった。
この確信を持ち帰れたことが。



帰りの新幹線では、品川駅から乗った瞬間頭の中にあるアイデアを書きまくりました。
ちょっと興奮を抑える意味で、お酒を飲みながら。。

 

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…アレっ。

 

気づいたら、新大阪駅でした…。

 

「あなたの原点の地はどこですか?」

 

 

 

 

時に助けてと書けるメモがあってもいい。

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今も企業が欲しい研修テーマは、大雑把にいえば「攻め」のスキル

ロジカルシンキング、交渉スキル、プレゼンテーション・・・

 

企業というのは、常に高い目標を掲げて立ち止まるわけにいかない宿命であり、マグロのごとく生きなければなりません。
当然、社員にも「攻めの構えと武器」を持たせ、強化することになります。

 

筆者も「メモ」という切り口から、そのニーズに応えるべく大人の攻撃力を倍増させるお手伝いをしています。

しかし、以前ある公開講座に参加していたある一人の参加者(女性)を通じて、現代社会に潜む落とし穴とメモのもうひとつの役割に気づくことができました。

今日はそのエピソードを。

 

 

彼女の暗い表情のわけ

その講座は「ロジカルプレゼンテーション」というテーマでした。
(ロジカルでもプレゼンでも筆者の場合は、メモ力を土台とします)


いつものようにややウケしながら、楽しく講座を進行していました。
ふと、一人だけ終始うつむき、くら〜い表情のまま参加している女性に気づいたのです。気づいてしまうとずっーと気になります。

体調がすぐれないのかな、内容が求めていることと違うのかな、少し話を聞いてみようと休憩時に話しかけたのです。
彼女は「はい、大丈夫です。」と言うだけでした。ますます気になる・・・


すると講座終了時、筆者に寄ってきて”ある事情”を話してくれたのです。
それは、職場で同性のベテランのある方からイジメにあっているという話でした。

 

筆者は聞きました。

「誰かに相談したのですか?」
「いいえ。もともと話すのが苦手だし、どこからどう話していいのかわからない。毎日職場では我慢し、家に帰って泣いている。」

 

かなり予想外の重さです。
講座直後の立ち話レベルではありません。
さっきまでギャグを放っていた筆者の軽さがますます浮き彫りになっていたことは言うまでもありません。

それはどうでもよいのですが。

 

どうやらイジメを受けているのは事実だとしても、実際上司にそれを伝えるとなると、難しいのだそうです。


多分に自分の主観かもしれない。
相手はそう思っていないのかもしれない。
えっ私の被害妄想?嫌いだからそう思うだけ?・・・
いい大人だし・・・
今日も黙っておこうか、と。

 

何より、相当な勇気とプレゼン力を必要とするということです。
仮に上司に伝えられたとして、その後どうなるのか、Badな展開だって想定されます。

ただただ辛い日常を耐えていた。
それが彼女の暗い表情のワケだったのです。

 

 

筆者がアドバイスした2つのこと

「なぜこの話を初めて会った私に?」

筆者は聞いてみました。
メモで人生が変わった、という先生の話を聞いて何か助言をもらえるかもと思いました。」と。

 

たしかに、メモ力は大きく自分の攻撃力を高める武器でもあるけど、自分を守るためのツールにもなる、そんなライフスキルです、と自身の経験も踏まえて伝えていました。

 
ならば、ここで何か手渡せるとしたら「メモ」を活かす方法しかありません。

筆者はこのように、とおすすめしました。

①”ある型”にそって思いつくままイジメに遭っている事実中心で一枚の紙に書く。

②上司に面談時間をもらい、紙を机に広げて、見せながら、指差しして、ただ読む

以上、これだけ。

 

 

「できそう?」「・・・やってみます。」

 

 

2週間後、2回目の講座で彼女にお会いしました。
表情は晴れ晴れしていました。(おおぉよかった!)

 

アドバイス通りにやってみたのだそうです。
まず自宅で事実をひたすらメモしていった。
すると気持ちが落ち着いてきた。
上司を前にしてかなり緊張はした。
でも紙を広げて見てもらえればいいと思うと、気が楽になった。

そう言ってくれました。


彼女の上司。
まず紙に書かれた事実を目にした。
指差しされた言葉を追い、彼女の口頭でも聞いた。

事態に驚きながらも状況を把握し、すぐに対処してくれたそうです。
そして「こんなわかりやすい説明をしてくれてありがとう」と感謝されたそうです。

 

 

自分を守るために書くメモだっていい

 

多くの人は、「伝えるのが苦手だ」と言います。
筆者は、こう言いたいのです。
「一枚のメモをつくればいいよ」と。

 

もし何かに悩んでいる、うまく相談ができなくて苦しんでいる人がいたらまずはその辺の裏紙でいいので思うがまま書き出してみてください。

 

時に「助けて」この一言を書いてもいい。
メモはどこまでも自由なのです。

 

順序や誤字脱字、文法など一切気にせず、ありのまま吐き出すように書き出す。
それだけでも、随分気持ちは楽になると思います。

メモは、意外と自分を立て直します。 

 

現代社会におけるメモのもう一つの役割とは?

 

「大切な自分を守るツール。」
そう筆者は捉えています。

 

現代社会はこれまで「攻めて攻めて、追いつけ追い越せ、まだまだ」の精神でここまでの繁栄を築いてきました。
こうやってのんきにブログを書いていられるのも24時間働いてきた先人たちのおかげです。

 

一方で、攻め攻めの空気に馴染めなくて、いわゆる落ちこぼれる人たちも大勢作られました。どこまでやっても何をやってもまだまだダメと言われる。
そうなると人は無力感におそわれ、生きる自信がなくなっていきます。

 

攻めもあれば、守りも必要です。
特に今の日本には。

 

たかがメモかもしれません。
されど、メモには攻めの思考力強化だけでなく、大切な自分自身を守り、人生をケアする、誰かにSOSを出せる最も身近なツールにだってなりえるのです。


伝えるのが苦手な人でも、メモがあれば見せればいいのです。
筆者はもっともっとその活かし方を研究し、子供から大人まで多くの方に手渡していきたいと思います。

 

 

*子を持つ親として、野田市で起きた小4の子の事件は非常に胸を痛めます。
できることなら野田市に行って助けてあげたかった。。(本心から)

大人は目を覚まさなければなりませんね。