KOMA NOTE

”軽やかにシンプルに生きていく”考え方や実践をフリーランスの人材育成クリエイターがつづります。

【ご縁に感謝します】ブログタイトルを変えました

緊急でも重要なことでもありませんが、本ブログのタイトルを変えてみました。

 

旧)KOMA NOTE

  ↓

新)思考整理パートナーKの人生をシンプルにするノート

 

 

なぜタイトルを変えたのか?

もともと軽い気持ちで始めた本ブログでしたが、いろいろ書いている内に自分は何者で、一体誰に何を伝えたくてこれを書いているのだろう??そう思い始めたからです。

売れる作家は、たった一人のために小説を書くのだそうです。
もう一度、原点に帰ろうと思います。

 

ふつう不器用で、空回りしている(でもあきらめていない)

 

以前のぼく自身のことです。

そんな人にぼくは一番寄り添いたくて現在、企業組織を中心にコンサルタントをしています。サラリーマン時代のぼくは、思うような結果が出ず苦労の毎日でした。年中24時間が不安中心の日々でした。

人は空回りが続くとどうなるか?
フクザツになります。アレコレ情報メタボになるし、無駄にノウハウコレクターになってしまったりします。むやみに手を出し、さまよい自信を失っていきます。
何をやっても成果は、さほど変わらず悪循環が続きます。

 

だから今空回りしている人の気持ちがときに手に取るように分かるのです。
応援したくなるのです。

ぼくはあの時の自分にそっと言ってあげたい。
”まずシンプルに考えよう、それだけで大丈夫”、と。

シンプルさを追求した途端、ぼくの人生は変わりました。
今は、フクザツさで彷徨っている企業組織や個人を支援する側に立って日々伴奏しています。何かを増やすより減らす。最も大事な1ゴールに絞る。頭と心の大掃除をする。そんなことをしています。ちなみにぼくの屋号は「シンプル経営のすすめ」です。

人生とはつくづく不思議なもの。自分がゴリゴリ悩んでいたことが、いつの日か他人の役に立つこともあるのです。

たまたまこの地味ブログにたどり着いた方がいれば、このご縁に感謝します。
改めて、宜しくお願いします。

 

追伸、

本質は不変ですが、タイトル等表現は雰囲気でちょこちょこ変えていくかもしれません。

 

忘れる達人になろう

「忘れるチカラって実は大事では?」

本記事のメッセージです。

 

覚えることと忘れること。

あなたはどちらが得意ですか?
ぼくたちの社会はずっと「覚えること」を要求してきました。今後もそれは大きくは変わらないでしょう。

だから一般的に”忘れる”という言葉は、一見マイナスの要素です。
ぼくも幼き頃から「忘れたのか!ガッ〜!」と怒られたり嫌味を言われたりなんて日常茶飯事でした。社会人になっても仕事がなかなか覚えられずに悩みました。

なので、おじさんになった今でも「XXをすると脳力アップ!」とか「XXを食べると記憶力が高まる」とかとか・・・
この手のネット記事や書籍には一瞬反応してしまいます。
(読むことはほぼありませんが)


ちなみに息子も、どうやら覚えることがなかなか苦手なようです。
ズバリ言うと、忘れる達人です(笑)。

よく引き算のやり方を忘れています。
先日はついに学校で居残りしてきたようです。

最初は妻と心配しました。

でも次の瞬間ハテと気づいたのです。
息子は覚えること(勉強)は苦手だけど、日常で色々嫌なことがあっても、次の日にはさっぱり忘れて明るく学校に行くのです。

 

忘れること。
ポジティブにイキイキと成長していくためには、実は欠かせない能力なんじゃないか、と思わざるを得ないのです。

 

決して覚える力を否定しているわけではありません。生きていくために必要です。
同時に、忘れる力も大事なんだ、と言いたいわけです。

何かを覚えること、記憶することとは、見方を変えると、それは執着です。執着とは、時に自分を縛る鎖のようなものにもなります。

あまりに過去にとらわれすぎると、人間前に進めませんよね。ささやかな経験ですが、ぼくもそんな時がありました。
そりゃ誰しも生きていると一見マイナスなことは多々あります。

そこで、さらりと受け流してしまえるスキルがあればよくないですか?
口で言うのは簡単ですが、やるとなるとこれがなかなか難しいもの。
でも実は赤ちゃんや子供は、自然にできています。昨日転んだことをずっと引きずる子どもっていないですよね。

大人になるにつれ、なんです。
過去の失敗、悲しい、悔しい出来事を結構引きずります。それらで苦しみ続けている方も多々いることでしょう。


「え、なんだっけ?そんなことあった?んなこともう興味ないサー」
波がサーっと引いていく感じでさらりと流し、前を向いていく大人たちが増えたら、子どもたちも大人ってかっこいいなと思えるのではないでしょうか。

僕は大人のひとりとして、そんな背中を子供たちには見せていきたい。


この忘れる技術。
今の子供たちが、未来の社会を明るく生きていく必須スキルになるかどうかは今のところ分かりません。

しかし、覚えるチカラを鍛えるのと同時に、手札の一つとして手渡したい技術なのです。

 

少なくとも、忘れるのが苦手という大人はぜひ身に付けたい。
なぜならば、上手に使えばあなたの仕事や暮らしのパフォーマンスを必ず上げるから。

 

ではこの忘れる力、どうやって養えばいいか?

カンタンです。
カンタンだけに意外と誰もやりません。


モヤモヤしていることを気がすむまで紙に書き出せばいい。
以上です。(いっつもこれ)

忘れるって砂浜を素足で歩くように気持ちがいいものです。
もうね、んなこと忘れてよし、です。
あなたの人生にとって余計なことまでいちいち覚え込むな、です。

気持ちを軽くすればいい。
頭と心は再び勝手に前向きに働き出します。

それだけ知っているだけでいい。
モチベーションを無理して上げようとかもはやいらないのです。
ぼくが手渡していることはたったそれだけです。

 

超・おすすめします。

 

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「ねぇパパ、九九って要るの?」
たのむ、それは覚えてくれ。

大事なのは、その先なのだ

「社員とちょっとしたプチ打ち上げするからおいでよ。」
顧客先の社長に誘われた。

 

お店は、北新地にある天ぷら屋さん『おばた』。

 

箕面の畑からとれた新鮮な野菜、活きのいい魚介類を天ぷらでいただく。
天ぷらの幅の広さ、深さを改めて感じた。
はぁ。もう最高に美味しい。
白ワインが天ぷらに妙に合う。

店内はカウンターだけなので、大将と会話しながら食事ができる。
ふと、天ぷら粉を混ぜる大将の手つきがまるでギターを弾くかのような軽快なリズム音を放っていたことに目が行った。

「すごっ!大将、まるでギターを弾いているみたい」


「・・・はい、かつて弾いていました」

 

少し照れくさそうに彼は言った。

「実はずいぶん昔、シャ乱Qと同じ事務所にいてましてね」

 

「へ〜プロだったんですか。」

 

束の間、彼は黙り込んだ。

 

「・・結局、芽がでなくてマネージャーとして裏方に回りました。でもマネージャーとしてもなかなか性に合わなくて、そのときつんくさんからお店をやってみては?と違う道を勧められたんです」

 

「で、料理人の道へ?」

 

「はい。新宿のお店で修行したのちに、この店を持ちました。
結局、わたしもつんくさんにプロデュースされた一人です、あっはっは」

 

大将の鉄板ネタなのだろう。


どれだけ技術があっても、突破できない壁はある。
ある思い出がよみがえった。
高校生のとき、ぼくはサッカーに夢中だった。
ある練習試合で県内の強豪校とやった。試合でプロ候補と目されていた一人の選手(同い年)にまったく歯が立たなかった。子供のようにあしらわれた。


はじめて圧倒的な実力差を感じた。
実力差やセンスの差もそうだが、一番悔しかったのは「気持ちの差」に気がついてしまったことだった。
ぼくにとっては部活の練習試合だけど、彼はすでにプロ意識の塊だった。


「単なる技術だけじゃない。結局は気持ちだ。」

僕は彼からそれを学んだ。そこでぼくはサッカー以外の道も考えるようになった。

 

大将は若かりし頃、歌という自己表現の手段で夢を追った。
しかし、夢は必ず実現するわけではなく、むしろその夢と決別しなければならない瞬間が人生では数多ある。

 

大事なことは、夢敗れしとき、どう自分を支え前を向いていくのか。
彼はギターを置き、歌ではなく今は料理という手段で自己表現をしている。

料理もアートだ。
大将の揚げる天ぷらには、気持ちがこもっていた。だから、最高に美味しい。

 

どんな状況になろうと、表現したい世界がある。伝えたい相手がいる。
そのじぶんの気持ちに忠実である限り、大将はずっとアーティストだ。

 

やはりテクニックではない。気持ちなのだ・・そう呟きながら新地を後にした。
ぼくの「また行きたいお店リスト」に登録されたのは言うまでもない。

 

 

天ぷら屋 おばた

https://tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27059716/

 

人の行く裏に道あり花の山

最近、株価が世界的に下落基調ですね。
新聞には「株安連鎖」「株価暴落」などと大体的に報じられているのかも。
(新聞をとっていないので、あくまで予想ですが)


ぼくも弱小個人投資家の端くれとして、この株価という自分ではどうしようもない動きを定期的に眺めては色々思考を巡らせています。株価の動きを世界の政治経済の情勢やトランプ大統領のつぶやきとつなげて考えてみたりなど。投資は勉強になります。

日米ともに株価があまりにも一直線な上がり方をしていたので、そろそろ大幅な調整が来てもおかしくないなと感じていました。今後も何があろうが動揺せず冷静に居続けるために、良い機会なので、大事なことを備忘録的にノートしておきたいと思います。

 

①過剰反応せず、客観的になる。

一様に株価が大幅に下がると、メディアや周囲は騒ぎ出します。でもよくよく見ると、たかだか3〜5%程度です。今日現在。せめて10%以上の下落があった際に、大暴落と呼びたいものです。


ネット上ではリーマンショックから10年、再来か!?などと結びつける扇動的な主観ニュースも出てきたりします。無理矢理不安を煽っているようにしか思えません。
でも相手の立場で考えれば、売れるためにキャッチーな見出しを付けるのは当然です。


こういう時、投資家は「自分」を見失ってはいけません。
周囲の動きで慌てて売ったり、衝動的に買うなど愚の骨頂です。
必要以上のリスクをとっていないことが前提ですが、まずは状況を事実として客観的に捉えることが肝要です。

例えばぼくの場合、次の2つの事実を押さえます。

 1、その数字は全体の何割程度に過ぎないのか

 2、これまでの歴史推移と今を相対化する

 

その上で、解釈します。
「ジタバタしなくてよし」です。

 

 

②自分の投資方針・ルールを再確認する。

ぼくの場合「長期保有を前提に、機械的に積み立てる。」以上です。
個別株も趣味として今は3つ保有していますが、応援銘柄と称してほぼ放置です。
日常で値動きが気になってスマホをちまちまチェックし出すとやっぱり仕事に集中できません。
投資あるあるのその経験を経て、現在は個別株中心ではなく世界分散型のインデックス投資信託を主軸にしています。
特にインデックス投信というのは個別株と違ってまったくスパイシーなところはありません。仕組みを決めたら、後はやることがなく暇です。

しかし「長期・分散・積み立て」の3本柱が、やはり弱小個人投資家の黄金ルールだと行き着きました。たんたんと続けるのが性にも合っています。

 

では、もしもリーマンショック級の暴落が起きたら?
この場合もシンプルルールを決めています。
「積み立て額を2倍にする」だけです。

 

 

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「人の行く裏に道あり花の山」

 

この格言、投資をしている方にとっては有名な格言ですね。
これは投資戦略のみならず、人生戦略にも通じる至言だと思っています。
人は弱く、情報爆発社会に飲み込まれ、知らず知らずに自分を見失ってしまうこともあります。今は常に手のひらで情報が手に入る時代。しかし言い換えると「自分を持ち続ける、自分で居続けるのが難しい」時代なのかもしれません。

 

投資に限らず、なんだかんだ他人と同じでいるのは安心です。
でも、人と同じであることを目指していては自分の人生は歩めません。
自分らしさとは、人との違いで浮き彫りになるのです。
ぜひ自分を持ち、自分らしい納得感のある人生を歩みたいものです。

 

株価の下落局面では、自身を見直す良い機会になります。
投資においては、相場がどうかは実は問題なく、その相場に向き合う自分自身が常に問題なんだとつくづく思います。

 

では!

 

師匠と弟子の対話

あなたには師匠やメンターといった存在はいますか?

いわば原点であり、あり方や考え方の拠り所です。
悩んだ際、「あの人ならどう考えるのだろうか?」とイメージする存在です。

会社員ならば身近に先輩や上司がいるでしょうから、「誰」に困ることは基本的にないでしょう。ぼくもサラリーマンの時はそうしていましたし、師と仰ぐような上司にも出会えとても幸せでした。(当時は悲惨だったけど)

フリーランスのいまも、悩んだ時、誰かに聞いてほしい時はあります。
基本日々”劇団ひとり状態”なので、必然的に自問自答が増えます。
しかし、これは誰かに相談したい!そんな時のひとつのやり方があります。


つい先日も、お客様から問いを頂きました。
「相談したい時、誰にしてんの〜?」と。

 

この質問、ぼくもお客様によくします。
社長は、まず冗談か本気かホステスという方が多い。
その上で、う〜んと考えてから「いない」回答が多いのが現状です。
よく経営者は孤独、と言われますが、実は管理職も「いませんね」回答が多いのです。

組織でやっていながら、みな相談できる相手がいないという皮肉な実情がある会社もあるようです。だからぼくのような仕事が成り立っているのかもしれませんが。

 

さて、ぼくはいつも次のように回答しています。

 

「偉人です(笑)。」

 

 

ぼくにとって人生のバイブルとも言える一冊があります。
大抵、カバンに入れて持ち歩いています。

代表的日本人 (岩波文庫)

代表的日本人 (岩波文庫)

 

 

この名著に登場する5名の偉人たちが、ぼくの師匠です。
なんと、24時間どこでも無料相談できるキレッキレのコンサルタント陣です。

やばいですよ、このメンツ。まさに偉人ドリームチームです。

 

今日は、このドリームチームのひとりをご紹介します。
かの明治維新という大プロジェクトのリーダー。西郷隆盛。せごどんです。


ぼくのスケールの小さな悩みを師はおおらかに且つズバッと斬ってくれます。

 

例えば、こんな感じで対話しています。
「西郷さん、少しお時間よろしいでしょうか?」(と本を手に取ります。)


「なんばしよっとか?」(方言間違ってるかもしれません)


「いや、実はお客様との人間関係に久々悩んでいまして・・・こうでああで・・」

 

まるで彼に聞いてもらっているかのごとくページをめくります。
じぃ〜と目を閉じてぼくの悩みを聞きながら(イメージです)
せごどんはついに口をひらくのです。

 

「天を相手にせよ。人を相手にするな。」

 

 

「ああそっか。」以上、終了〜。

 

まぁ、何度も読んでいるのでオチの分かりきったコントのようになるのですが、何度読んでも本質を突いてくる至言を頂けます。安定感抜群です。


人間関係に悩んだ際というのは、大抵はそもそもの目的を見失い、視点が下がっている時、志が低く小さくまとまろうと思っている状態に起こりがちなのです。

せごどんは、続けてこんなアドバイスもくれます。

 

「すべてを天のためになせ。人をとがめず、ただ自分の誠の不足をかえりみよ」と。

 

もう、せごどん、最高です。せごどんハンパねぇ、です。
まだまだぼくは師の足元にも及ばない・・・そりゃ維新革命、成功させるはずだ。

 

この師匠と弟子の対話の良さは、
課題に直面したぼくの視点ではなく、師である西郷さんの視点で考えることができること、にあります。これが最大のメリットです。


そして何度も繰り返すことで、その師と同じ目線で物事を考えられるようになる訓練になるのです。


いかがでしょうか。
本を通じて偉人という師匠と対話する、という方法。
よかったらそんな本との付き合い方、師匠のもち方もある、と参考にしていただけたら幸いです。

 

自分の会社にはロールモデルがいねぇ、と嘆くのではなく、広く世界を見渡して師匠を見つけてみてはいかがでしょうか。今生きている人だけでなく、偉人だらけですから。

次回は気が向けばドリームチームの2人目、あの上杉鷹山とぼくの対話をほんの少しご紹介したいと思います。あのケネディ大統領が尊敬した人物として有名です。

 


お楽しみに!

 

 

承認よりスマホを充電できる場所。

東京での仕事に向かう新幹線の中で、読んだ一冊。
自分と関係のないアンダーグラウンドな話ではなく、もはや隣の日常であることに軽いめまいと、日本という国に実在する「いびつな共助」という決して肯定はしないけど、簡単に否定もできないリアルな課題を本書は優しく突きつけてきます。

 

 

最近、いわゆる巷のビジネス書の類を手にすることがめっきり減った。
その理由は、あまり役に立たないからである。
もちろん、若い頃はそれこそ何百冊とお世話になり、中にはボロボロになるまで読み込み心や仕事の支えになったものもある。

 

ビジネス書というのは、要は「正論集」。
だから読んでいてスッキリするが、深みは少ない。

世の中は白黒はっきりすることは少ない。
ほとんどがグレーゾーン。その中に僕らの仕事や暮らしがある。
何かと整った企業で働いている時は、きれいごとや理想、正義、常識といった正論が役にたつことが多かった。それが通用する環境だった。

今、独立して中小零細企業のサポートをしながら直面するのは、ずばり正論が通じないこと。

あなたにとっての正論は、わたしあるいはわたし達にとっては正論じゃない。
非合理。非論理的。こんなことが日々たくさんある。
誤解を恐れずに言えば、合理より情理の影響力がものすごい。

そういった世界をひとつひとつ紐解きながら「正解」ではなく「納得解」を紡ぎ出していくには、自分の代わりに経験したことを事実としてまとめてくれるルポタージュや、人の気持ちのひだや裏側を自分にはない言語で表現してくれる小説がなかなか役に立つテキストだ。

さて、今回のタイトル。
いわゆる派遣型リフレで生きている彼女たちが一番欲しがっているものとは何か?
それは承認や温かい関係性よりも欲しいもの。

スマホを充電できる場所なんだそうだ。
今やライフラインであり一番大事な拠り所、それがスマホということだ。

本書ではなぜ若い女性が自分自身を売る仕事をするのか、その背景や気持ちが1次情報として次々とレポートされる。

一見自分とは遠く関係のない話のように思えるが、これらの世界に山積みになっている課題を、他人事ではなく、自分ごとに引き寄せて捉え直してみたくなる。

自分に引き寄せて思考してみるリテラシーは、複雑性で不透明で不条理さが増している社会を生きるぼくたちの、必要不可欠な武器になるのではないか、そう感じる。

 

決して読後感に清涼さはない。むしろ胸のあたりがドーンと重くなる(笑)。
でも、あなたにはおすすめしたい一冊なのだ。

 

10月5日の「ひと言」

足りなかったのはやる気でも知識でも能力でもなく、

「確認する」という1点。

 

しごとは「確認」が8割です。

いつも途中で何を言っているのか迷子になってしまうあなたは、そもそもの問い、に立ち返りましょう。

部下の結果がなかなか出なくて・・と悩むあなたは、部下のノートを見せてもらいましょう。

自社の商材がなかなか売れていないなら、全社員がお客様の困りごとを今一度じっくり聴いてみましょう。

 

わかっているふり、なんてしなくていいのです。
何度でも確認してくれる人にこそ、ぼくは安心と信頼を感じます。

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「確認する」というしごとの基本。今一度見直してみませんか?自戒を込めて。