「知っている」は最大のバカの壁になる。
講座やセミナーなんかで講師をしていると、時折「あ、それ聞いたことがあります」「それ本で読んだことがあります」などと親切に発信してくれる人がいます。
【ぼくは、それを知っている】
その空気を感じた際に、ぼくは皆さんに語りかけます。
「今日はできたらこれまでの知識、情報を一旦脇に置いて素直にぼくの話を受け入れて下さい。聞く話はもしかしたら根っこは同じ要素なのかもしれない。手渡す方法論の違いかもしれない。だけど、今日わたしは初めて”それを聞く”ような態度で、時間を過ごしてみてください。かならず得られることがあるから。」
自分の判断を交えずに、すべて飲み込む。
そんな習慣をあなたはもっていますか。
つまり、外の世界を受け入れるということ。
あなたが色々なことで行き詰っている、何かで困っているのはなぜか?
端的にいえば、自分の過去のやり方、考え方にしがみついているからではないでしょうか。
ぼくらは常に心のどこかで「自分は正しい。間違っているのは相手(周り)だ。」そんな幻想を抱きながら、小さな自分を支えているところがあるよね。
自分が一番正しい。間違うはずがない。
もしもその状態だとしたら、自分に向き合えていないはず。
だって向き合ったら自分が間違っていることに気づいてしまうから。
うぅなんだか胃のあたりが苦しくなるよね。
ぼくもいまだに時々、そうなります。
やっかいなのはその幻想は残念ながら周囲の誰も、教えてくれないということ。
「知っている」は最大のバカの壁になる。
自分を変えたい、何かができるようになりたいという気持ちがあるならば、中途半端にそれ知っている、などという言葉は封じてみよう。
まるで国会中継で映る書記官のような中立的態度ですべてを飲み込んでいくんだ。
ほんとうに書記官のように、相手の話を判断交えずに速記してみるといいよ。
もうひとつ、小技ですが人の話を瞬間的に素直に聞けるように変わってしまう方法もある。それは次回、お会いした際にでも。
ありていにいえば、余分な力を抜いて、素直な自分を取り戻そうってこと。
これがあなたの行き詰まりをさっさと取り除くキーワードなのかもしれません。
ご参考までに。
ちなみに、以前ブログで書いたことかもしれませんが、「わかりました」も要注意。
あなたの職場で今日もたくさん交わされている常套句でしょう。
しかし、これ注意が必要です。
わかりました!⇨(でも、できていない)(でも、やってない)ことってたくさんありませんか?
「わかった?」「はい、わかりました!」は意外と動けない言葉のやりとりだってこと。
かつてぼくはあるチームに「わかりました禁止令」をアドバイスしたことがあります。
たった1つ、上司の「わかった?」をある言葉に置き換えたら部下の行動力が見違えるようになったのです。
その言葉とは一体か?
考えてみてくださいね。いたってシンプルですから。
暑いから、なに?
チャンスゲームというアイスブレイクワークがあります。
2人いたらできるます。3〜4人程度でやるとさらに面白く盛り上がります。
ルールは、かんたん。
1人が社長役、その他は社員役という設定で、まずは社員役の1人が社長に言います。
「社長、大変です!⚪︎⚪︎になりました。どうしましょう!?」
⚪︎⚪︎は自由に困った事柄を入れてOKです。
それに対して、社長はこう切り返します。
「おぉ、それはちょうどいい!⚪︎⚪︎しよう」
これを繰り返すのです。
「朝起きたら、髪の毛が無くなっていました。どうしましょう!?」
••••フン、知らんがな。
そういうのはここではなしです。必ずアイデアを出します。
どんな⚪︎⚪︎が投げられても、社長はそれをチャンスと捉えてみんなが笑顔になるようなアイデアを出していく。
先の例でいえば、
「おぉ、それはちょうどいい!職場が最近暗いなぁと感じていたんだ。君の頭が輝かしい太陽となり、毎日職場を明るく照らしてくれ!今日からヘッドに任命しよう。」
お遊びですから、ここでは御法度なし。できるだけバカなアイデアを社長役は思いつきで言って笑いあっていいのです。
しかしこれをやっていると、あることに段々気づいていくのです。
それは「物事の見方。」
問題→解決すべき困った事柄
ではなく、
問題→何かを変える絶好の機会であり、チャンス
なのだ、と。
もっと正確に言えば、そうとも見ることが、今の自分にだって結構できるのだ、と。
”言葉が世界を創る”ってこういうことなのでしょう。
自分のガチガチの固定観念や先入観を柔らかくしていくには、面白いワークです。
ではせっかくなので1つ、やってみましょうか。
あなたには社長役をお願いします。
「社長、大変です!気温がすでに38度です。どうしましょう?」
「おぉそれはちょうどいい!XXしよう!」
かるく考えて口に出してみてくださいね。
(もしくは次回ぼくに直接言ってくれると嬉しいです。)
ここでたくさん面白い切り返しができる人が、この夏を楽しく過ごしていけるのかもしれませんね。
月並みですが、暑い時は冷たいものを。
名店「角谷」にて、かき氷をいただきました。いつ行っても大繁盛です。
もう適当にサボろう。
長男がサッカーをした次の日、「1日遅れ」で熱中症になった。
調べてみるとそんなこともあるらしい。
昨日のニュースでは1日に約9000人が熱中症で搬送され、8人が命を落としたとのこと。そんな状況が今後も続くのかと思うと、お題のことばが浮かんでくる。
なぜこんな日照りの中、リレーの練習をしなければならないのか?
なぜ部活の練習でミスしたから水分も摂らせず18キロも走らせようとするのか?
なぜ毎日同じ時間に会社に行かなければならないのか?
なぜ、激暑の中、ネクタイを締めてジャケットを羽織って営業するのか?(これは過去のぼく。仕事とはいえ、よくやってたといまや恐ろしい・・・)
う〜ん天気だけではなく、なんだかおかしいぜ、大人たちよ。
天地自然の前では、ぼくたちは悲しいほどに無力。
でも物事を思考し、工夫をしていけるのが人間。ここは思い切った頭の切り替えが必要だ。
この暑さを契機に、今までの習慣や前提を1回リセットしてみたほうがいいのかもしれない。
僕らにはいろんなバイアスがかかっていることを知ろう。
少なくとも子供を育てる上で、一番ダイジなことは何か?は問うておきたい。
それは、「命を守る」ことに他ならない。
これは大人もしかり。
1つだけ、もう誤解を恐れずに言う。
みんな、適当にサボれ。
会社や学校も休んでいいし、ドトールに逃げてもいいのです。時に組織からはぐれたっていいのです。
熱中症に気をつけて、という何の足しにもならない女子アナの呼びかけではなく、
僕は「サボる」という具体的な動詞を前向きに生活に取り入れることを提案したい。
もうどうでもいいところで、がんばるな。
(本当にあなたががんばらなきゃならない場面はあるから)
いやいや、言うてもそんなことできんわ、という真面目で誠実なあなたへ。
ことばの遊びですが、あたまに「戦略的」を付けてみて。
戦略的サボり。戦略的休み。戦略的逃げ。戦略的撤退。戦略的ドトール。
なんか、前向きな感じがしてきませんか?
今日も明日も激暑は続くでしょう。
なにとぞご自愛にひと工夫を。
前向きにサボれ!
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午前中からもう暑い!前日に続いて40度超えも
2018年07月19日 11時16分 読売新聞
19日の日本列島も全国的に気温が上昇している。気象庁によると午前10時40分現在で、愛媛県西予市の宇和で35・9度、堺市で35・6度、京都市で35・1度、高知県四万十市と大阪市で35・0度と、5地点ですでに35度を超える猛暑日となっている。午前10時現在で全国の473地点で30度以上の真夏日となっており、岐阜県内で40度以上を記録した前日に続き、40度を超える地点が出る可能性もある。
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今日は夕方から京都へ行く予定です。。ゆっくり行こう。
内視鏡を入れられながら思ったこと。
今年もそれはやってきた。
内視鏡検査。
昨年初めて胃カメラを飲み、自分の胃袋くんと対面した。まさに、自分と向き合った笑。
初めて見る内臓に軽く感動した。胃はすこしだけ荒れていた。
今年は、妻の強い勧めがあり、胃だけではなく、腸も診てもらうことに。
つまり、上から下からのダブルスコープ。こんなのはじめて状態、だ。
鼻からだけではなく、今回初めてお尻からもカメラを入れるという軽い屈辱と未知の苦痛に耐えられるだろうか、と若干の不安はあったが、それよりもリアルタイムで内臓を目視したかったので、全身麻酔はしないことに決めた。
(スタッフの方からは「えっ、しないんですか」と何度か聞かれたが、大概麻酔ってするのだろうか??)
検査の当日は朝から、洗腸剤を大量に飲み、お腹をすっからかんにして新大阪のクリニックへ。
検査そのものは時々「うっ、うっ」と声が自然と出ただけで、特に痛みも快感もなかった。
さすがプロだ。途中医師と会話もしながらアッという間に終了。
結論を言うと、、
ぼくの腸も胃も、みごとにきれいでした。
細かく言えば、胃に小さなポリープ(良性)が1個あって、プチっと採ってもらった。
医師も特に言うことがなく、「んま、きれいだね」とまるでアートを眺めるような目線でぼそっと言っただけだった。
今回、胃カメラとお尻からのカメラ(なんていうのか)を入れられながら、小宇宙とでも言えるかのような自分の内臓を涙目で見ながら思ったことは、、、、
妻への感謝。
そして両親への感謝だった。
今の自分の身体は、6ヶ月前の食べ物で構成されている。そんな言説を何かで見た。
毎日野菜中心の料理を作ってくれている妻に感謝の念が湧いてきた。
そして、元来丈夫な身体をこの世に送り出してくれた両親へ。
ありがとう。
自分の内臓と対面すること。そこには2つのメッセージがある。
ひとつは健康状態のお知らせ。
もう一つは、大切な人への感謝をしなさいよ、あなたひとりの力で生きているわけじゃないんだよ、ということ。ついつい忘れがちだ。
年に1回の、内視鏡検査。
40代の基本だね。
来年またお世話になろうと思います。
環境もスタッフの対応も気持ち良く、おすすめです。
悩むと考えるの違いを知っておこう。
今月、個人事業主になって7年目に入った。
『経営や仕事をもっとシンプルに。』
シンプル経営のすゝめという屋号と、この一行のコンセプトで6年間、コンサルティング活動を継続してこれた。
止まることなく進む情報大洪水時代。経営や仕事、プライベートにおいてもほっといたら僕らはすぐムズカシイ、フクザツな世界を引き寄せてしまう。
ラーメンで言えば、いつも全部のせ状態。どこかそういう方が価値があるかのように。
フクザツな資料。
フクザツな会議。
フクザツな営業。
フクザツな商品開発。
フクザツな資産運用。
フクザツな子育てまで。
フクザツな世界で、ぼくらは「悩む」ことにけっこう時間を使ってやしないだろうか?
悩むと人は動けない。だから現実は変わらない。
「それ、もっと”かんたん”にしてみませんか?」
この呼びかけに、共感してくれる経営者や個人が世の中に思っていたよりも多かったことが、ぼくの心の支えであり、ささやかな商売を継続させてくれている。
(ちなみに妻はぼくのカンタンすぎる思考に、時々腹が立つようだけど・・)
さて、フクザツな人の入り口とはなんだろうか?
それは、「悩む」こと。
人には色々悩みはある。それはぼくもあなたも同じだし、普通のこと。
しかし、どうしても悩みたいんだったら、せめて時間を切った方がいい。
「よし1分!」とか3分でも5分でもいいけど。制約が何もないと、なんなら一晩中でも悩めるのが「悩む」という行為だから。堂々巡りとかまさにそう。
ちなみに悩む時って何かしながら?意外になにもせずにぼっ〜としてませんか?
これ一番もったいない。ちなみにおすすめは歩きながら、です。
では、シンプルな人の入り口とは何か?
それは、「考える」こと。
「悩むのではなく、考える。」その決定的な違いって何だろう??
それは、書き出しているかどうか。
別に歩いてもいいのだけれど、書き出しているかどうかが分岐点。
ぼくのセミナーを受けたことがあれば、またそれか!と思うでしょうね。
でも大事なことだから何度でも言いたい。
「考える」とは、「書き出すこと」に他ならない。
できれば紙にペンで書き出す。
順番とか、正しいこと書こうとか、頭の中で整理してから、とか一切無視。
浮かぶまま、紙に言葉を下ろしていく(これはいくつかコツがある)
書くと見える。見えると整理される。整理できると行動を決められる。
紙に書き出すから、思考が勝手に前に進むのです。
それを技化したらいい。何をしようが、一生使える。
シンプルに思考が前進するから、人生も前に進められる。
この7年でぼく自身が実感している事実。
悩むのではなく、考えることを技化している会社や個人はどうなるか?想像つくよね。
儲かるでもいいし、成長するでもいいし、問題が解決するでも、生産性が上がるでも表現はそれぞれだけど、ハッピーな世界をいち早く創ることができる。
ぼくは、「悩む=フクザツな社会」ではなく、「考える=シンプルな社会」を創造するささやかな活動を7年目も必要とする人たちに手渡していきます。
そして、来年から今より広く活動展開していく企みもあります。
詳しくは、まぁ飲みながらでも。
一緒に楽しくやっていきましょう。
あの頃、ぼくは毎日つけ麺を食べていた。
W杯で、日本がまさかの初戦勝利。久しぶりに代表戦で興奮しました。
4年に1度のW杯がくるたびに、ぼくは思い出すことがあるのです。
もうだいぶ昔になりますが、2002年日韓W杯の時、あなたは何をしていましたか?
ぼくはちょうど最初の会社を辞め、無職でした。
次の仕事がないまま辞めたので、結果約3ヶ月間のプータロー生活。
当時28歳のプータローがどんな毎日を過ごしていたか?
朝起きてTVでサッカー観戦、昼は近所の行列のできるつけ麺屋へ。
お腹いっぱいで帰宅し、軽く昼寝後、再びサッカー観戦という夢のような毎日を送っていたのです。
そう、ちょうど、プータロー期間が日韓W杯と重なっていたのです。
意外に日本が勝ち上がり、ぼくの転職活動はズルズルと遅れをとっていました。
(振り返るたびに、コイツなかなか恐ろしい奴やなとかるい震えがきます)
無職で今後が不透明という現実を考えるとやはり不安だったのはたしか。
しかし元来楽天的な性格上、このW杯が終わってからが、”絶対に負けられない俺のW杯が始まる!”とか自分に都合のいいように思っていたのでしょう。
「結果的に」その通りとなり、後の転職活動でぼくは人生の転機となるコンサルティング会社にゴールインし、その後堕落していくことなく、おかげさまで独立し今に至ります。
あのつけ麺の毎日がなければ、大阪に来ることも、妻や子供たちに出会うこともなかった。当然現在のフリーランスで充実した日々も経験できなかっただろう。
再びW杯がやってきた。
不思議だが、当時あれだけ毎日食べたつけ麺の味は覚えていない。店の名前も。
今サッカーに夢中の小2の息子とボールのパス交換をしながら、ぼくは笑いながら話す。
「昔な、日本でW杯があったとき、パパは仕事もせず毎日つけ麺食べていたんだ。」
「なにやっとんねん!?」
人間万事塞翁が馬。
だから、今がある。