KOMA NOTE

”軽やかにシンプルに生きていく”考え方や実践をフリーランスの人材育成クリエイターがつづります。

目標を思いっきり下げてみよう。

いきなりですが、あなたは「目標設定」と聞いてどんな気持ちになりますか?

 

ワクワクする、楽しい、よっしゃー!、とか前向きな気持ち、ポジティブな感情になりますか?それとも胃が「ウッ」とくるような嫌な感じ、苦しい感じがしますか?

僕は企業で働く人たちの成長を下支えする仕事を、会社員時代も含めると、かれこれ15年間やってきた中で、世の中圧倒的に後者が多いことを知っています。

例えば、研修やセミナーで「目標設定ってダイジ」なんて話をしだすと、明らかに表情が硬くなり、目線を下げる方々とたくさんお会いしてきました。ちなみに今僕が下支えをしている方々はどちらかと言えば、むしろそういう人たちです。会社員というのは、言ってみれば目標に囲まれて生きています。言い換えれば、業務上成し遂げなければならない高い高い数字を達成するために、日々僕らは苦悩しているようなもの。

しかし、もしあなたが成長したいと思っているなら(思っているとわかっているから書いているのですが)月並みですが、目標設定は出発点であり、外すことはできません。

僕も会社員時代を思い出すと、ホンネを言えば「目標」ってイヤな奴でした。なぜイヤだったか、今は分かります。理由は2つあります。

1つ目、ほぼ他人が決めるから。見せかけ自分で決めたように仕向けることもありますが、その大元となる目標は当然他者が決めています。「じゃあコミットな!」とか笑顔で言われても・・・と納得感が生じにくかった経験ありませんか。

2つ目、ここが今日一番言いたいことなのですが、「そのハードル、高すぎません?」なのです。

 

多くの先人たちが唱えてきた目標設定の技術というものは、「高いハードルを掲げよう!そうすれば自分の能力や知恵を引き出せる」。それが当たり前のこととして流布されてきたようです。たしかにたしかに、です。しかし、僕の経験から言えるのは、高すぎる目標は簡単に人の成長意欲を下げることが可能です。今の自分の心の具合、発揮している能力に合わせて「そのハードルだとやる気が削がれるな」と感じたら、正直に高すぎるのです。高すぎる目標に白けてしまっている自分がいたりしませんか。もちろん自分のコンディションによっては、ハードルをあえて上げた方が意欲が高まることだってあることも事実です。

従来の目標設定の考え方と逆説的になりますが、そういうハイな自分に至るまでは、変なプライドを捨てて、こう言いたいのです。

「その目標を思い切って下げてみませんか?」

 

目標といえないくらい低いレベルのことを目標にするのです。すぐ達成できてしまうこと。例えば、今月は1000万の売上を創出する、と目標におかれても構わないのですが、同時に「今日の午前中、1件顧客訪問する」「1件電話でアポを取る」「アポを取るリストを10時までに用意する」という小さくてすぐできてしまう目標も立てるのです。そしてすぐ達成する。「できた!」を積み重ねるのです。「できた」の積み重ねが成長意欲を高めていきますから。大事なことは自分の意欲をコツコツ育んでいくこと。そのツールとして目標はうまくコントロールしていくことなのです。うまくというのは、ガツんと下げることです。こういったことは人を育てるのが上手な上司は自然とやっています。しかし残念ながら極めて少ないと感じています。

 

僕は会社員時代、見栄とプライドが邪魔して高い目標を立て、挫折する繰り返しでした。低い目標を立てると周囲から「できない奴」「志低っ!」と思われるのでは、といつも無理していたのです。だから目標設定とは自分にウソをつく作業でしかなかったのです。他人にウソをつけば信頼を失いますよね。では自分にウソを重ねるとどうなりますか、自分自身を信じられなくなってくるものです。でもそういうものだと思い込んでいたのです。辛かった・・・。

でも独立した際に、白紙のノートに向かって目標を自由に描いた時感じたのです。誰からも与えられないで目標を自分で決めることの楽しさやワクワク感を。いちいちコミットなんていう必要もない。目標って決してイヤな奴ではなかったのですね。自分次第だったわけです。

 

もちろん組織にはミッションがあります。目標は降ってくるでしょう。それは組織の一員として誠実に受け止めていきましょう。しかし多くの人はその大きなボールをそのままにしています。だから達成できる気がしなくなってくるものです。ハードルをガクンと下げた今日の目標は自分で決められます。いつも言うように頭の中で浮かべるのではなく、紙に文字で書きましょう。それならできるはずだから。そして「できた」をコツコツ積み上げていきましょう。

 

どうでもいいことですが、最近の僕はなぜか「蕎麦」が食べたくてたまりません。今日は食べログで調べ、あるおいしい評判の蕎麦屋さんに行くことにしました。数時間後、僕にも新たな「できた」がつくられていることでしょう。その意欲と自信をもって顧客先のコンサルティング企画を仕上げようと思います。

 

あなたのどうでもいい(笑)「できた。」今度教えてくださいね。

 

 

 

 

ダイバーシティを語る前に。

僕はタクシーを即座に使う。割と時間をお金で買う。しかし妻からするともったいないからバスや電車、なんなら自転車を使う。僕は買い物をする際に比較せず、いいなと思ったその場で即決する。しかし妻がいると大抵ストップがかかる。彼女は1円でも安いところを探すマメなことを厭わない。かつては子供が熱を出した時、薬を飲ませるタイミングでいつも妻とはぶつかっていた。以上はたまたま思いついた例だが、価値観の違いは枚挙にいとまがない。価値観とは、「自分にとって当たり前は何か」ということ。

 

近頃、ダイバーシティについて意見を求められることが増えてきた。相手は一体何を聞きたいんだろうか、と想像を巡らしながらも、ダイバーシティについて僕はこんな手渡し方をする。

 

それは「人を嫌いにならないこと」です、と。

どんな人でも受け入れる心を持ちましょう、心を広く、ね。これは現時点での僕の定義だ。

 

もしも言葉の意味や知識を得たいだけなら、ネットで済む。あるいは学者の著作など参考にすればいい。しかし、何か自分の行動につなげたいならば、遠くの馴染みのない概念や言葉をがんばって取り寄せるよりも、身近な日常にある言葉で捉えていく方が意味がある。遠くの言葉を知ってることよりも、普段やってることに価値がある。だから特に曖昧な横文字というのは、子供でもわかる言葉に置き換えていこう。そして今この瞬間から「人を嫌いにならない」という「実践」をはじめてみよう。これ相当な人間力の訓練になるから。僕たちは思っている以上に人を好き嫌いでやたらめったら判断していることに気づく。しかも無駄に他者に同意を求めたがる。そんなこともうやめようぜ。自分の価値を落とすだけだよ。そう思ってまずは僕自身取り組んでいるダイバーシティ・トレーニングが「人を嫌いにならない」というシンプルな実践。

 

時代は成熟社会だから、ものごとは必然的に複雑化、多様化していく。その度合いは今後もますます深まるだろう。ダイバーシティはもはやみんなの当たり前になる。

それらを今、大上段から語り始める前に、1つ大切なことを胸に手を当てて考えたい。

 

「あなたのたった一人のパートナーを幸せにしているか?」ってことを。

一番身近なのは夫婦だよね。夫婦は元来赤の他人であり、結婚をし、共同生活をしているものの、価値観が様々違ったりする。そこを歩み寄り、受け入れ、折り合いをつけながらチームワークを発揮する最小単位といえる。社会の情勢を語り出す前に、まずは目の前の夫や妻を幸せにできているのか、自分は?という問いって大事なんじゃないだろうか。

多様性の本質とは、個の尊重であり、自分と他者の違いを受け入れることであり他者を活かしているか、とするならば、現実に目の前にいる相手を活かせているかを省みること。もし活かせていないならば何か分かっていないこと、受け入れていないことがあるはず。そこを真摯に見つめることから始めよう。

 

大事なことだからもう一度、言うね。まずはたった一人の身近なパートナーを最大限幸せにすることを考えること。それがダイバーシティや多様性を本質的に理解することにつながるはずだから。

 

そう言いながら僕もまだまだ修行中です。人生をかけてやろうと思います。毎日がダイバーシティ・トレーニングなのです。以上真夜中のたわごとでした。

 

ダイバーシティを語る前に、よかったら参考にしてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

しあわせの基準。

今年のGW後半は、愛知県の知多半島に家族旅行をしてきました。知多半島、それほど過度な期待はしていなかったのですが、食べ物は美味しいし、観光施設は驚くほど安いし、地元の人たちは優しい。子供たちも大はしゃぎで楽しい旅行となりました。

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海の見える小高い丘にあるフレベールラデュというカフェでパフェ。

 

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水遊びでオシッコビーム。(JAあぐりタウン元気の郷、ここが美味い安い、子供がたのしい!のです)

 

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宿泊した「まるは食堂」の温泉に入った後あわてて外に出て、太平洋に沈んでいく夕陽に間に合いました。(娘の靴が反対になっている、笑)

 

旅行の帰り、車のバックミラーに映る家族の寝顔を見ながら改めて思ったのです。

しあわせの基準が「私だけ」ではなく、「私たち」にあることを。

家族旅行は、いろいろ大変な面があるけど、たのしいことも沢山あって、大切なことに色々気づける機会ですね。

あなたはこのGWでどんなことに気がつきましたか?今度教えて下さいね。

 

 

ラストのもう一つの意味。

先月末、ある顧客企業の社員成長支援プロジェクトが終了した。いつもそうだが、終了した後にあれもこれも伝えたかった、もっとこうすればよかったと反省点は尽きない。その気づきやモヤモヤは次の新たなプロジェクトの種になるので、しっかり記録する。いつもプロジェクトの参加者には言う言葉だが、「曖昧な記憶に頼らず、記録に頼れ!」記録によって僕の企画するプロジェクトは年々ブラッシュアップされていく。

 

というのは、僕からの視点。

1年間参加したあなたの視点とすれば、「あーやっと耳の痛いフィードバックが終わった、もう毎週提出しなくていい。ふぅ〜乾杯!(笑)」。その安堵と開放感に包まれながら、段々ビフォアの状態に戻っていくのかもしれない。かつてダイエットや受験勉強もそうだったように。人はある到達地点の達成感を覚えると、その後は本意でなくとも下り坂を経験することは枚挙にいとまがない。

 

と、あえて陰の視点で。従来の企業研修が越えられない壁がここにある。その壁を越えるための鍵は「言葉」にある。やはりいつの時代も言葉が世界を創っていく。

 

1つ質問したい。あなたはラストのもう一つの意味を知っているだろうか。大半の人は「終わり」「さいご」と言うだろう。辞書を引くと、実はもう一つの意味が書いてある。

 

「続く」という意味である。

 

終わりの始まりという言葉があるが、ラストとは「続く」つまり「再スタート」なんだ、という解釈を取る方が今後の活力にふさわしい。

2017年を突き抜けようと決意したあなたには、終わりという解釈は不要だ。

 

GW明けの再起動。今度はあなた自身が織りなす本当のプロジェクトの始まり。

 

バットを思いっきり振れる4番打者になってほしい。心から応援しています。

 

 

仮説思考とは思いやり。

これから営業という仕事を始めるあなたへ

 

「仮説が大事って言われました。仮説思考はどうやったらできるようになるのでしょうか?」

 

 

仮説思考、ですか。そうですね・・

たしかに正解がない成熟社会というのは、仮説を立てていくことで問題の把握や解決のスピードが上がります。そして学びが増えるのがメリットです。できた方がいいと思います。

でも、その・・小難しそうなビジネス書に書いてあるような”仮説とは、仮の結論で”とか言ってみるのもいいのですが、しばし書を閉じてみませんか。

 

それより大切なことがあります。

それは、『今日会う人たちや身近な家族が今、なにを考え、感じているのかをひたすら想像してみること』です。

 

どうしたらその人が喜ぶのだろうか、を考えることこそが、ビジネスにおける仮説思考の実践的なトレーニングになります。

 

仮説思考とは、「思いやり」なのです。

思いやりとはどこから生まれるか、それは関心です。平たく言えば、ある対象を好きになることです。人は関心がないことは、何万回見ても、見えていないものです。例えば、いつも行くコンビニの看板にあるロゴって書けますか?ちなみに僕は7の付くコンビニを多用しています。

 

大切な人、好きな人に対して、僕たちは自然に頭と心を働かせていると思います。例えばパートナーと結ばれる時、あなたは最高にハッピーな仮説を立てていたはずです。

 

営業という仕事で大切なのも、どれだけ相手の気持ちになりきって考えられるか。「頭の理屈」よりも「相手の気持ちに寄り添う心」からスタートしていくと仮説は浮かんできやすいと思います。ハート→言葉→論理、こんな順番です。

 

ちなみに僕自身がここ数年直面している子育てというのは、毎日が仮説検証の連続です。最高のトレーニングになります。(サイコーに精神的に参る時もありますが)

 

ぜひ今日は、あなたがケアしたいなぁと感じている身近で困っていたり、悩んでいそうな1人の仮説を立てて、ほんの少し相手が喜ぶ働きかけをしてみてはいかがでしょうか。

たとえうまくいってもそうでなくても、あなたは大切な何かをそこで学び次に活かせるはずですから。

 

仮説思考は、あまり理屈っぽくならずに「好き」から始めてみてください。

営業であれば、相手の会社、お客様個人の好きな点ってなんだろう、から。

 

よかったらこんど僕は仮説をいつもこんな風に立ててますよ、って紙一枚使ってお見せしますね。

 

 

僕は(私は)はたらいているのだろうか。

給料が安いとか、(正当な)評価をされていないと嘆くあなたへ。

 

息子3歳の時のある朝、素朴に聞かれた。「パパ、おしごとってなーに?」

子どもというのは時々、親を試すような問いを投げかけてくる。

瞬間頭の中に浮かんだことは、「お前たちを食べさせること」「お金を稼ぐこと」・・・でも、次の瞬間思った。

なんか、違う。どれもこれもどこか薄っぺらい。

たぶん通じないだろうし、わが子には父として何か本質的な答えを手渡したい。

 

いったいなんだ、しごとって。

あなたなら、なんて答えるだろうか?

 

考えた末その日の夜に、僕は息子にこう答えた。

「しごとってね、こまっているひとをたすけることだよ。」

 

だから、パパはもしも今日1日の中でこまっている人をだれも助けられなかったら、おしごとをしたことにならないんだ。こまっている人が笑顔になって「ありがとう」と言われたら、パパはおしごとをしたことになるんだよ。そしてたくさんの人を笑顔にしていくと、あとからね、「おかね」というかたちになってかえって来るんだよ。

 

「うわー、ぼくもはやく”おしごと”したい!」

だったら、ようち園でだれかこまっている子がいたら、たすけてあげて。

それがおしごとのはじまり!

 

今でもこの定義を基本に、僕は仕事や働くということを捉えている。

そもそも仕事の語源は、事(こと)に仕(つか)えること。

働くの語源は、傍(はた)を楽(らく)すること。

つまり、どちらもお金を稼ぐとか、高い報酬をもらうなんて意味は含まれていない。

本質的な意味は、「誰かの何かのお困りごとの解消にお役に立つこと」なのだ。

 

この意味に照らして、あなたの現状を率直に伝えるならば、

まだまだ、あなたは役に立っていないのだ。

ただ指示されたことをやるのは仕事とは言わずに、世の中は「作業」と呼ぶ。

作業は誰でもできることが多いから、賃金も低い。いずれその多くがAIやロボットに置き換えられていくだろう。

仕事とは、自ら見つけ、創り出していくこと。

この違いを明確に分けられるようになろう。

ちょっと言ってること、厳しいですか?

 

世の中はシンプルだ。

たくさんの人が喜んでいるかどうか、と収入は比例している。

一流のハリウッドスターやプロ野球の選手が桁違いの収入を得ているのはなぜか。大勢の人が求めている映画や試合に出ることで、世界中の何百万人もの人を喜ばせているから。

 

もらうことばかり考えて不平不満にするよりも、まずはどうしたら目の前の人のお役に立てられるだろうか、喜ばれるだろうか、その一点に集中して毎日仕事に取り組んでみてはどうか。

 

『今日の僕は(私は)はたらいているのだろうか?』

この問いに毎日向き合う。

それだけでいいと僕は思う。

 

 

 

 

 

 

 

フォーカスして生きる勇気。

浅田真央選手の引退会見がありましたね。

民放テレビ局は生で放映していたようです。

 

今やフィギュアの試合がゴールデンタイムで当たり前のように放映されるようになったのは、彼女の存在があったからではないでしょうか。

それだけ多くの国民に愛されたアスリートだったのでしょう。

 

何より、昨日の会見を見た方の多くが感じたであろう、まだ26歳にして、あの存在感と言葉に滲む成熟感。

 

「ひとつのことに打ち込んだ努力は

報われると感じています」

 

彼女の言葉のひとつ。

シンプルだけど、本当にやった人にしか言えない言葉。

 

浅田選手は21年間フィギュアスケート1つにフォーカスした人生を送った。

金メダルという1ゴールを定めて、それを生き抜くってことをやってきた。

やはり一流のキーワードは「フォーカス」なのだ。

 

仕事でもそう。質を上げるには、できるだけ少なくやること。1つに絞る。

空回りする人ほど、アレもコレもと中途半端に手を広げて出してしまうもの。

 

浅田選手の会見を見ながら決意した。

この春、改めて《大事な1つに絞る》。他はバッサリと捨てていこう。

捨てる、やめる、減らす、削る、断る。

まだまだ続くであろう成熟トレンドを生き抜く上で、会社にとっても個人にとっても必要な方向性だ。特に僕のように40代に突入した大人は「捨てる」ことができるかが問われているとひしひしと感じる。

 

生きる強さとは、捨てて捨てて「1つの事実にフォーカスする」ことから生まれてくるんじゃないだろうか。改めて自問してみたい。

 

浅田さん、

本当にお疲れ様でした。

あなたの絶え間ない努力、

1つのことに捧げる眼差し、

金メダルを諦めない挑戦心、

観る者にたくさんの感動を与えて頂きました。

ありがとう。

 

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そういえば、歳を取るごとに桜の美しさを感じるようになってきました。