KOMA NOTE

くらしと仕事にシンプルなきほんを。思考整理コンサルタント・駒込浩明のブログです。

肯定しよう。

肯定には自分も他人もプラスに動くチカラがある。

肯定すると、知恵が生まれる。

肯定すると、人としての器が広がる。

 

最近暮らしの中で、ふと気づくと言葉にするしないに関わらず、なにかと否定していることが多かった。誰かから否定ばかりされたらパワー失うよね。否定している本人にもそれは跳ね返ってくる。

反省の意味も込めて、肯定すべきポイントについて改めて書いておこう。

 

①文章

例えば「飲食厳禁」より「飲食は外のロビーにてお願いします」の方が、素直に応じやすい。

「〜はダメ」「〜するな」と書かれるよりも、「〜しよう」という読み手が心地よくなる文章を綴ろう。

コンサルレポートから日頃のちょっとしたメールもすべて「肯定文」で。(もちろんこの地味ブログも)

 

②対話は「YES AND」が基本。

「そうですね(受容)、さらに〜」と相手のアイデアを否定することなく、つなげていくこと。何事でも可能性を広げられる相手になること。「そうですね、でもね・・・」と可能性を閉じるオッサンになっていないだろうか。それは”つまらない奴”として認知されるだろう。自分のミジンコのような狭い価値基準でものごとを判断しないようにしたい。

 

③人への眼差し

僕が教育者の端くれとしての経験から思う教育の考え方にはざっくり2種類ある。

1つは相手を「育てよう」という眼差し。育てなければならないほど「足りない」「未熟な」「変えるべき」ものという前提。正解はこちらにあり、相手の間違いを正すことに焦点があてられる。

もうひとつは、相手を「活かす」という眼差し。相手がすでによきものであるということが前提。相手の良い点を最大限に活かすには、何をサポートしたらいいのか、を模索する。

もちろんどちらもありなんだが、僕のコンサルティングスタンスは後者である。この成熟社会においてもはや正解は1つなんてありえないから。子育てにおいても、ビジネスシーンでも。

 

「それでいいのだ」といえる人は、やはりカッコいい。

肯定から始めよう。それが基本。

 

 

 

 

当たり前だと思っていた。

横断歩道を渡る時に、通りかかった自動車が止まってくれる時がありますよね。

 

渡り終わったら、そのドライバーに向かって軽く「一礼」ってしますよ、ね?

 

故郷の岩手にいた子供の頃から、僕はそうしてます。

小学生みんな、そうしてましたもん。

なんなら、被っていた野球帽をとって試合のごとく声に出して一礼してましたもん。「ありがとうございましたっ‼︎」って。

 

車の運転が荒いと言われる大阪で暮らすようになった今でもついしてしまいます。さすがに声は出さないけど。

 

この前小1の息子とスーパーに歩いて行く途中、横断歩道で車に会釈したら「パパなんでするん?知り合い?」と鼻をほじりながら聞かれたわけで、その時に、えっ当たり前やろ?えっ学校で習わんのか?逆にしない理由を俺に教えてくれ⁈ 「一礼」という交通ルールなんてない。でもルールの前にマナーを知れ!喝っ!と小一時間ほど問い詰めたくなった。

 

ま、それは冗談として、

秘密のケンミンショーという番組で取り上げられていたそうだ。やはり。

www.youtube.com

 

子供に会釈をされた大抵のドライバーは、笑顔になる。

そのドライバーは、今日1日たぶん荒々しい運転はしないだろう。また横断歩道で子供や老人をみかけたら、ゆったりとブレーキに足を乗せるだろう。相手にゆずる運転になるだろう。そんな優しいドライバーが世の中に増えたらいいな。

ちなみに岩手県の交通事故発生件数は、2013年のデータだが47都道府県中45位とのこと。

 

 

 

 

 

上司との関係性のつくり方。

先日、かつて一緒に働いていた同志たちと飲む機会があった。会うたびに大体同じ昔話をするのだが、毎回大笑いできる。こういう時間って楽しくて心が軽くなる。

 

定番はやはり上司ネタ。今でこそ、経営者や経営幹部の相談にのっている僕だが、実は若い頃はよく上司との関係で悩んでいた。いろんな上司に仕えたが、正直にいえば、なかなか人間が好きになれなかった。上司とうまくやっている同僚を横目で見ながら羨ましく感じていたものだ。

 

でも、そんな僕にも分岐点がある。それはあることに気づたこと。「あ、な〜んだ」と。それ以降も複数の上司と仕事したが、関係性は以前より楽になった。

 

それは、視点をこう変えたからだ。

「上司という”人間”」を支援するのではなく、

「上司の目指す”ゴール”」を支援する。

 

たったこれだけ。当たり前すぎますか?

僕が苦しかったのは、人間を見ていたから。自分の中に理想の上司像を描き、上司とはこうあるべし、と勝手に押し付けていた。それが現実と違うと、そりゃ不満になる。

 

完璧な上司(経営者)などいないのだ。勝手な理想像を求めるのではなく、「このボスありき」という現実から出発する。大事なことは、「会社という船」をどうにかしてボスである船長の思うゴールまでたどりつかせること。そのゴールに焦点を当てて創意工夫を集中させる。すると、周囲とガチリと噛み合う瞬間ができてくる。実際、この視点変更ができてから周囲も驚くほど成果が出るようになり、徐々に認められるようになってきた。不思議だが、あれほど、、、だったのに、上司の良いところが見えてきたりもするもの。

 

これはあなたのケースにも置き換えられるはず。ボスがインド人であろうが、中国人であろうが、男性であろうが女性であろうが、年上であろうが年下であろうが関係なく、まず最初の一歩は、そのボスの目指す「ゴール」をしっかり把握すること。

把握したら、自分のできることを役立てるように提供していく。シンプルでしょ?

 

その支援の中で、自分の個性や創造性を発揮していけばいい。

むやみに手を広げてなんやかんやと勉強すればいいわけではない。

大丈夫、焦らなくていい。

 

今にして思うけど、会社員というのは、個人と社会が実はダイレクトにつながっていない。「会社という船」を経由してはじめて社会とつながることができる。

端的に言おう。あなたの役割は「会社という船」を目的地へ行かせることだ。

 

そこを踏まえた上で、あなたのボスの目指しているゴールとは何だろうか。

意外とぼんやりしてない?

わかったつもりでは?

動ける?

 

もしもいささか不安を感じたなら(感じるだろうと分かって言うのだけど)、自分の解釈をメモに言語化しておいて、ボスに確認してみよう。3分もらえたらできる。

 

それがモヤモヤ解消になり、今の状況を変える第一歩となれば、僕も幸いです。

ご参考までに。

 

ちなみに今の時代、ゴールは変わります。1度確認したらいいのではなく、状況変化が想像以上に早い今の時代を捉えて、定期的に確認するのがよいと思います。

船だけに、結構波は荒いのです。

 

 

 

誰しも、修行の時期は必要だ。

今の僕がいるのは、20代後半から30代半ばまで、コンサルティング会社でとことん仕事に集中し、上司や顧客に鍛えてもらったあの日々があったから。楽しかったが本当に苦しい日々だった。

とりわけ僕は不器用だったから土日もGWも、会社で仕事をしていた。非効率極まりない日々。ほぼ毎日電車がなくなる時間まで仕事をし、心身の限界すれすれまでを経験した。もう二度と戻りたくないが、あの時期に経験をさせて頂いたことすべてに心から感謝している。プロとしての仕事に対する構え、そしてビジネスにおける知的体幹を作ることができた(と思う)。

 

今メディアでは毎日、働き方改革と喧伝されている。生産性を上げることは必要だし、大賛成。無駄な残業はさっさとなくせ、と思う。だからこんなことを言ったらダメなのかもしれないが、あなたには正直に言うね。(悩んでいるAさんへ)

 

もしもある分野でプロとして生きていきたいなら、誰しもある一定期間、これってありえないねーっていうほど仕事に没頭することが必要だ。理不尽なくらいにね。

目先の評価なんか、捨ててよし。長い目で見て目先の給料以上に経験を取れ。本当の底力とは、とことん仕事に没頭し、苦しみ抜いた時期にしか養われない。

 

お子さんも生まれて、大黒柱として家族を養っていくんだろ?

この先どんな世の中になろうが、身ひとつで稼げる力、大事な家族を守る力を鍛えるのは、今なんだよ。

 

すべてをかけて、猛烈に働いてみよう!その経験自体がほんとうの自己投資。それが将来がっつりリターンになってくるんだ。

経営や環境に不満言っている暇なんてないんだよ。厳しいこと言うけど、給料が安い理由は、自分が価値を創り出せてないからに他ならない。

 

さぁ、くわ持って外へ出ろ、働けー!

 

修行しよう。それは僕も同じだ。

 

スキルを学ぶ、その前に。

数年前、休日に突然田舎から両親が大阪の我が家に駆けつけたことがあった。ちょうど桜の綺麗な季節だった。上京の理由を明かさず、神妙な顔つきで「正直に言いなさい。」と僕に迫った。一体何のことやら検討もつかず、「何?」「いやいやもういいから話しなさい」軽く押し問答のようなやり取りのあと、ようやく事情が判明した。

 

実家に、「オレ」と名乗る人物から「お金を用立ててほしい」と数回電話があった。

 

つまり、詐欺だ。そんな大金用意できないものの、息子が困っているのは「確か」だから、とにかく大阪までスッ飛んできた、という。どうやら僕がある事業に失敗して、すぐにでも500万円を用意しないといけない、そして自分の家族には迷惑をかけたくないから妻には内緒にしてほしい。そんな作り話だった。

それは完全な詐欺だよ、と僕じゃないことを伝えるが、なかなか魔法は解けないことに正直驚いた。

母は言った。たとえ風邪気味の(オレ)声であろうが、自分のお腹を痛めて産んだ子の声を間違うはずがないじゃない、と。(いえ、しっかり間違っていたのですが・・・)

 

ようやく魔法が解けた途端、両親はなにかの鎖が外れたかのごとくその場にへたり込んだ。心底疲れ切っていた。

僕のなかで日頃コミュニケーションをさぼっていたことでこんな心配をかけてしまったことの申し訳なさ(当時、携帯番号が変わったことすら伝えていなかった)。仕事の忙しさを言い訳にして帰省していなかったこと。そして親の良心を逆手にとった詐欺をしかけてきた連中への憤りが湧き上がり、心の中は反省と憤りで複雑だった。

しかし、そもそも両親にお金がなかったことですぐに振り込めずに、会いにきてくれたことが何よりの幸いだった。

 

以来、これは帰省した際の恒例の笑い話になっている。

 

この話で今回ポイントにしたいことは、この詐欺集団が老いた母と電話でしたやりとりに、きめ細かい「聴く技術」が盛り込まれていたこと。近年顧客企業から要望を頂き、特に管理職の方々によくトレーニングしている「アクティブリスニング」「フィードバック」等の技術が駆使されていた。昔の和牛商法や未公開株詐欺まで、あやしげな人たちは心理的な盲点を利用した巧みなコミュニケーションスキルを駆使して近づいてくる。

僕は思う。そのスキルを使う「場所」と「相手」、ち・が・う・だろ〜!この••ゲー!と。

 

翻って僕が仕事でこういったスキルトレーニングをする際、いつも1つの問いを相手に投げかける。

「あなたはこのスキルを、誰のために、何のために使うのか?」

 

腹に落ちるような定義と理由をハッキリしておかないまま我欲のまま乱用すると、必ず誰かを傷つける。もしくは使う場と相手がぼんやりしているが故、せっかく手にしても錆びついて終わる。

 

ちなみに僕だったら、スキルをこう定義している。

「自分にとって大切な人の豊かさを増やし、守る道具」

(どこかの投資信託のキャッチフレーズのようなだが、、、)

 

ビジネススキルを学ぶのは大いに結構だし、あなたの年代は貪欲に自己投資することが大切だ。

その前提として、スキルとは何か?なぜ、自分はそれを学ぶのか?を自分の言葉でアウトプットしておく癖を身につけたい。ほとんどの方はそれをしない。だから迷い、疑う。そして情報爆発社会の波にのみ込まれてぶくぶくの知識メタボになっていく。

 

定義と理由。

シンプルにいつもこの2つを決めよう。

そして、手にしたスキルは人の喜びにつながる活かし方を。

ご参考までに。

 

 

 

僕のマインドフルネス法。

なにやらブームですね。マインドフルネス。

僕流は簡単です。呼吸もポーズも時間も場所も関係ありません。

瞬間で悩みが悩みでなくなり、心に安心を取り戻せます。

それは、

 

「まぁ、いいか」

たった、この一言を口に出すことです。

 

一瞬で過去のこだわりを手放し、未来の不安を打ち消します。ここ最近では僕の中で最強の一言です。心のバランスが調整されてきます。

 

美味しい食事中、うんこの臭いがしてきても、「まぁ、いいか

ネバネバのなっとうをすべて床にこぼしても、「まぁ、いいか

フローリングを歩くたびにご飯粒が足裏についても、「まぁ、いいか」

おねしょでふとんがビチャビチャになってても、「まぁ、いいか

とにかく言うことを聞かなくても、「ま、まぁ、いいか!」

(うむ、思いつくのがすべて育児だ)

 

仕事でも同じです。

渾身の提案が却下されても、「まぁ、いいか」

思うようなプレゼンができなくても、「まぁ、いいか」

上司から嫌味言われても、「まぁ、いいか」

契約が取れなくても、「まぁ」(←上司の前で言ってはいけません。高確率でシバかれます)

 

「まぁいいか」を繰り返し口にしてみると、過去や未来ではなく、「今の自分」へ自動的にピントを合わせてくれます。これは決して投げやりになる、思考停止になることとは違います。

「まぁいいか」は、自分の自然な思考バランスを取り戻す鍵なのです。

この言葉が言えない時、人は苦しい。

 

今、何かに不安になって眉間にしわが寄っているあなた。ほんの少し遠くを見ながらつぶやいてみましょう。

「まぁ、いいか」と。

 

さいごに。

色んな場面で言ってみるとあることに気づきます。実は僕たちの身の回りは意外と「まぁいいか」だらけだったことに。

良かったらお試しください。別に試さなくても「ま、いいか」です(笑)。

 

 

 

 

日本語で話そう。

パラダイムシフト』。

あなたはこの言葉の意味を説明できますか?どれだけの大人が意味を理解できているのだろうか・・・。

 

週末、テレビでやっていた党首討論をみた。ある一人の党首の発言に違和感をもった。

僕は疲れていた。昼間娘の運動会で、親参加の競技ではりきり過ぎ、日没とともに身体が悲鳴をあげはじめ、頭の回転が鈍いことは確かだった。それが影響しているかどうかは分からないが、その某党首が何を言っているのかわかるようで、わからない。

この違和感の正体・・・それは、頻繁に出てくるカタカナ用語だ。

 

僕がかつてコンサル会社にいた時は、カタカナ用語を常用している人は結構いたし、外資系の企業ではないのに、職場では飛び交っていた。

「アグリー、アグリー(賛成)」(なぜか2回いう。意味はないのだが)

エビデンス(証拠)」(主観で発言する相手に対して投げかける)

シナジー(相乗効果)」(部署間の溝があればあるほど会議で頻度高く出る)

「ペンド(保留)」(ちょっと残念な表情で言う、ホンネはやりたくない)

「コミット(がんばってやり遂げましょう)」(管理職が大好きな言葉♩)

 

などなど。いっぱいあった。(思い出すだけで苦笑する)

 

知性的な感じがして憧れを抱いた時期もある。僕も社風に乗り、イキって口にしていた。しかし、ある時期から僕は「反・カタカナ用語派」になった。

もう10年以上も前の話だが、当時の上司が放ったミーティング後の発言。

「このホワイトボード、テイキングノートしておいて」

瞬間、僕は冷めた。カタカナ用語への印象は、知性から爆笑に変化した。まさに、シフトした(笑)。

「ノートとれよ」でいいじゃないか。

もう「ぷっ」である。「ルーかあなたは」である。

 

単なる自己満足でしかなく、相手目線で考えると、恥ずかしい言葉の使い方なのだ。以来、僕は仕事において「むやみに」カタカナ用語は使わない。最近ではお客様から「ダイバーシティが・・」とか出てくる。「どんな街ですか?」と突っ込んだりはしないが、どこまで相手は意味を理解しているのだろうと慎重に意味をすり合わせするようにしている。プロジェクトが上手く進まない、コミュニケーションがかみ合わないといった迷走の元凶は、僕の経験上、カタカナ用語にある。「よく聞くけど、誰もほんとうの定義を知らない」用語があなたの身の回りで乱発されだしたら要注意だ。僕の管理職向けのセミナーでは毎度恒例だが「小学6年生が分かるか?」が基準。ひらがなで言い表せる程の再定義をしておくと仕事は進む。

”わかったつもり”で僕たちは多くの言葉を使っている。まさに”つもり''症候群。ここに無自覚だと、いつまでも相手に伝わらない。伝わらない理由にすら気づけないイタいヒトになる。

 

試しに、この1週間、禁カタカナ用語で過ごしてみよう。意外と苦しいかもしれない。しかし鈍っていた日本語への感度を目覚めさせるよいきっかけにはなるはず。

自分が操れる言葉をもつ、そのために日本語への感度を日頃から鍛えよう。それは多様なメンバーを活かしたり、束ねる力につながる。

リーダーシップはつまるところ言葉力なのだから。

 

にしても、今メディアで話題の某党首。ふと思うのだが、誰か周りに言ってあげる人はいないのだろうか。そのカタカナ用語を少し抑えませんか、と。

見てて「リアルに」イタいのです。